【ヒグラシゼミ】2月は2回

① 2月15日(土)午後2時~

学大国語科第一演習室

村田沙耶香「孵化」(『生命式』に収録)

(発表者)佐藤隆〈埼玉県教員・元昭和ゼミ長〉

@ テキスト希望者は関谷までメール下さい。

* 遥々新潟からチヒロちゃんが参加を表明してます(チヒロと言ってもたくさんいるから、旧称センちゃんと言わないと特定できないかな)。

 

② 2月29日(土)午後2時~

学大国語科第一演習室

江戸川乱歩「地獄風景」(予定)

(発表者)栗田卓〈立大オーヴァードクター・元昭和文学ゼミ師範代〉

@ テキストは準備できしだい送れるように用意してもらいます。

 

* 3月以降に発表を希望する人も、こぞって連絡下さい。

【読む】卒業生の論文  (追加)体調報告

 この2・3日、学大院修了生の活字になった論文を読んで、感想を書いているところ。立大院のユウタ君の博論発表会の感想も長くなったけれど、今回もだいぶ長くなっているので、他の話題でブログの更新ができてないことをお断りしておきたい。いま書いている感想は、了承を得ていない(たぶん得られない)のでブログに貼り付けることができない。もう少しで書き終わると思うので、明日からは溜まった話題について更新するつもりです。

 卒業生のものに限らず、研究者からも送ってもらった抜き刷りなども読んで感想を送りたいのだけれど、なかなか思うようには行かないので悪しからず!

 

 尿管結石にケリが付いたので、もらったたくさんの薬を余したままその後は服用していない。ただ体調が元どおりになったわけでもないのは、体重が2キロ回復したものの病気前より3キロ減ったままなので分かる。それなりに食べられるようになったのだけれど(場合によっては1日4食に近いことも)、元気が出ない。何よりも積極的に呑みたいと思えなくなっているのは、体調が回復していない証拠だと思っているヨ。それでも昨日は仲間の見舞いに出かけ、帰り道に大カキフライとイベリコ豚のメンチをゲットし、院修了生の留学生・オッチャンから出版記念会でいただいた高級赤ワインを独りで味わわせてもらったヨ。酒もツマミも美味だったけど、元気な時は1本くらい空けたものの昨日は半分残したネ。ビールやワイン以外の酒は飲みたいと思えない状態だし、まだまだ本調子ではないのだネ。とはいえ体重が元通りになったとしても、健康診断の際に言われた「チョッとメタボ」に戻ることになるから要注意だけどネ。

 でも明日は寿司でビールを呑みたい気分になっているからご安心下さい。

 

 発病して以来1ケ月、酒よりもアイスクリームやアイスキャンディ(高級志向のキェーちゃんと違って100円くらいのものばかり)が美味いと感じていたけど、こんなことジンセイ初かな。元気な時はいつもアイスよりビール! と思っていたからネ。

【尿管結石】最終報告、完治!  「三池炭鉱の石が出たア~!」

 ユウ君と呑んだ翌日からずっと痛みも違和感もなかった上に、昨日は何と石が出たヨ! 「月が出た出た、月がでたア~。三池炭鉱の上に出たア~」じゃないけど、「石が出た出た、石がでたア~」だネ。膀胱に止まっていても痛みは無いのだけれど、石が動くために頻尿になる」と言われたのネ。その尿がつかえたように出ないことが2・3回続いた後で、明らかに石を押しだす感じで尿と一緒に石が出たのだナ。10日ほど前にも後から出たのが分かったけれど、1ミリ超の小さい石で自覚が無かったのだネ。それが今回はハッキリ意識して石が出たので嬉しいかぎり。それでも頻尿が続くのは、まだ石が膀胱にあるのか、加齢によるものなのかは不明ながらも、とにかく完治と言ってイイところまでたどり着いたということをお報せします。

立大・博論(3) 渡部裕太  梅崎春生

 ②で記したように、この博論が何よりも評価されるべきは、審査員からもたびたび「蜆」論が話題に取り上げられたように、テクストと執念く(しゅうねく)取り組む姿勢と《読む》能力だ。学界のトップレベルの審査員3人に、テクストの意外な《読み》方において十分刺激を与えたという点だ。それも「◎◎によれば」と他人の理論に依りかかる類のサモシイ論じ方ではない。『シドクⅡ』の前書きの言葉で言えば、ヒトのフンドシによることなく自力で相撲をとる力量が、読む者を刺激し挑発するところがスゴイのだ。ボク自身学部生の頃から大好きな梅崎ながら、ユウタ君の「蜆」論を読んだ時は、正直梅崎研究において自分の出番が無くなったと感じたものだ。

 ただし副題の「語りえない〈空白〉を語ること」のとおりの論じ方で、目先の〈空白〉をたどるばかりでは最後の「幻化」の達成への転換が見えてこない。梅崎を論じた第一部全体を読めばそれが伝わってくるのかもしれないながら、発表を聴いたかぎりではそれが見えてこなかった。意見を求められた時に、《「幻化」という〈空白〉を埋める物語を語りきっていることを視野に置きつつ、目前の〈空白〉を語り続けた意義を論じていれば、より説得的な論となったと思う。》と言ったけれど、ボクの問題提起は伝わらなかったようで、《「桜島」の始発から「幻化」へ至る過程を論じる一般の論じ方は避けた》という応えだった。

 そんな当たり前のことを提起しているのではなく、「幻化」が〈空白〉を満たした物語だとすれば(ユウタ君は明言してなかったけど)、その表層のプロセスの水面下で〈空白〉それ自体を語り続けた意味を論じきっていれば、画期的な梅崎論となったであろうということなのだナ。

 

 《本論でいう焼跡文学とは、焼跡の空間的 / イデオロギー的空白性を作品に内包した文学であり、この空白を意識しつつ試みられた文学である。》

 表題の「焼跡文学論」の意味するところではあるけれど、「序説」とでも付さないと大風呂敷すぎて中身の貧相さが反照されてしまうだろう。審査の際に〈戦後派〉が話題に上っていたけれど、実は全く名前が出なかった三島由紀夫も「第二次戦後派」(すぐに消滅してしまった文学史用語)という〈戦後派〉だったのを忘れてはなるまい。三島も「焼跡の空間的 / イデオロギー的空白性」を語り続けた作家だとボクは思う。『シドクⅡ』の「金閣寺」論でも引用したように、主人公が《何か私の内に根本的に衝動が欠けているので、私は衝動の模倣をとりわけ好む。》(第七章)と語るのも、己の〈空白〉を自覚しているからに他なるまい。金閣寺を焼き尽くすことが、〈空白〉を埋める物語として読むこともできるだろう。ただ残念なことに、三島がこの〈空白〉を「イデオロギー」で満たしてしまった短絡を批判する観点を担保しておくことを忘れまい。

 

 最後に、ユウタ君が石川淳を取り上げなかった説明をしていた理由は十分伝わって来なかったものの、結論だけは鋭さを感じさせられたけれど、それを佐藤泉さんが《石川淳は割り切っているンだよネ》と言ってくれたらすぐ納得できた。ユウタ君の言葉によれば、《石川淳は戦後空間を対象化してしまっている》も佐藤説と連動させると、〈空白〉に浸かりきりながら〈空白〉を語りえなかった梅崎その他に比すと、石川淳は〈空白〉に浸ることなく距離を置いて見ることができたからこそ、その安定した立ち位置を獲得することができたのであり、そこから「焼跡」(戦後社会)を自在に〈見立て〉ることができたという次第ということになる。(ということで良いかな?)

【釣り部】3月は温泉行  宇都宮のスーパー銭湯へ 

 先ほど呑み屋を紹介しているうちに、肝心なことを記し忘れてしまった。釣り部長のユウ君に3月は毎年釣果が無いことが多いので、今年は宇都宮のスーパー銭湯に行こうという案を検討してもらったのだネ。暮れの釣り部では東京組よりも宇大卒組が多かったことも考慮して、今度はこちらから出かけるという発想をした結果でもあるわけネ。ボクが宇都宮に住んでいた頃に「南大門」という大規模な銭湯が話題になっていたことを思い出して、駅からも近い「南大門」なら都内からも栃木県内からも日帰りできるし、宇都宮市内で宴会やったり泊まったりしやすいだろうと考えた次第。

 その場でユウ君が調べてくれたのは、「南大門」でも宴会も宿泊もできるというのだから言うことなし。日にちは春分の日の前後で検討、ということに決まった。かつては優秀な釣り部・ゼミ部のメンバーだったアイ~ン(夫妻)が空いていれば、2人の結婚祝いとして招待するのもイイだろうし。拡大部活のようにして、栃木・茨城(・東京)の皆さんに声をかけて(間隔が小さすぎるけど)「第二の生前告別式」みたいに集まってもらうのもイイかもネ。前回都合がつかず参加できなかった懐かしい人にも会える可能性もあるし。などとハナシが膨らむばかりで楽しみだヨ。

 

 評判の温泉がたくさんある栃木県ながら、交通の便を考えると(東京からの)日帰りは難しいし・宿泊料金は高価だろうし・何よりも話が大仰になるので、むかし東北被災の時に皆で仙台へ行った時に利用したスーパー銭湯や、釣り部の帰りにヘイカお好みのスーパー銭湯へ寄ったことも思い出し、「南大門」の線が浮上したわけだネ。気軽に集まり・たくさん呑んで・何度も湯船につかり・希望しだいで適当に観光して帰るというのもイイと思うヨ。