【尿管結石】第二次(?)終了宣言  和食呑み屋「百干」

 実は、いつまでもご心配おかけしては申し訳ないとも思い、2日ほど痛みや違和感がなくなった時に「終了宣言」を出したものの、その後に痛みが復活したこともあったのだネ。25日には痛み止めを入れてから釣り部長・ユウ君と呑んだのだけど、久しぶりにビールのみならず赤白のワインも美味しく呑めただけでなく、「第二力酒蔵」に匹敵するほど美味で多種の料理もタラフク食べることができたヨ。国分寺の駅ビル9階のレストラン街の「百干(ひゃっかん)」という店で、以前オッチャン(女性韓国人留学生)やネモチン(去年から住所不明)と2人で呑んだ店なんだけど、こんなに充実した肴(さかな)があったとは驚きだネ。

 何よりも数日前に西友で見かけて食べたくて仕方なかった(けど自分では美味く料理できない)タラの白子ポン酢に感動したネ。(カワハギならぬ)ウマヅラの刺身が肝付で出たし、ホヤの塩辛もあったし、バイ貝の刺身やカキフライもタイムリーだったネ。「きごち炙り刺身」が何だか分からなかったけど、「きごし」とも言うサワラの若魚のことでまずまずの味。それぞれが赤色のワインにも合って(グラスワインなのにレベルが低くない)、十分楽しめたヨ。ユウ君も日本酒を種々楽しめたようで、近場ではおススメの店となったネ。ただしユウ君もファンである吉田類が行くような、小汚い店じゃないから女性の酒好きにもおススメだよ。

 

 その後今日までの3日間、まったく痛みも違和感も無いので2度目の(?)終了宣言をしておきたいと思います。

【観る】関根正二展

  タミルさんから早速、嬉しい情報が届いたのでお報せしつつ、皆さんにもおススメします。鎌倉なので、観光かたがたお出かけ下さい。

 

(タミル・メール)

そうそう、鎌倉の神奈川県立近代美術館で2/1から3/22まで関根正二の回顧展があります。

これは行かなくちゃ、ですね!

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2019_sekine

 

立大・博論発表会(2)  渡部裕太  

 そんなわけで申し訳ないながら5分ほど遅れて会場に入ったら、ユウタ君が主査の石川巧さんと副査の金子明雄さん、外部審査員の佐藤泉さん3人の前で論文要旨を説明していた。学界のトップ・グループのお三方を前に、ユウタ君は堂々と(図々しくも?)発表していたのは大したもンだったネ。

 論文題目は「焼跡文学論ーー語りえない〈空白〉を語ること」であり、 配布された資料によれば以下のような3部構成になっている。

 第一部は梅崎春生の作品論4本

 第二部は平林たい子武田泰淳織田作之助の作品を1つずつ 

 第三部は焼跡を舞台にした(?)教材から今西祐行井上ひさし太宰治の作品をそれぞれ1つずつ

 ボクが読んでいたのは、梅崎の「蜆」と「飢えの季節」の2本だけと、平林たい子の学会発表を聴いただけなので、博論全体が十分に理解できていないのは已むをえないながら、優れた審査員の的確な質問に応じたユウタ君の補足説明でかなり理解が進んだ気になれた。これなら後で感想をユウタ君に手紙に書けるナ、と思っていたところへ、石川主査から「あと4分余っているのでセキヤ先生いかがですか」と振られてビックリ!気持の準備ができていないままに、感じたままをストレートに述べてしまったら、石川さんからフロアからとしては前代未聞の有意義な意見とお褒めいただいたので、あながち外れた感想ではなかったようでホッとしたネ。

 

 ボクの感想の大枠は、(後から気付いた言葉で補いつつ言えば)以下のとおり。

① 論文題目の表題も副題も風呂敷の広げ過ぎで、論文の内実が量的に貧相過ぎるということ。

② しかし第一・二部の作品論の質的レベルの高さが、論文の実質となっている点が評価できるということ。

③ 第三部の国語科教育的観点は明らかに論文全体の統一を破っており、結果として論文の評価を下げている印象はマイナスだということ。

 ③から言えば、ユウタ君は《国語科教育における学びの普遍性を担保することを論じている》と記しているけれど、国語科教育などへ色目を使うなど全く必然性がない!

ユウタ君が早稲田の教育学部の出身であることも関連しているような説明もあったけれど、そんなアイデンティティ(連続性)などにこだわる必要などあるもンか! 今のユウタ君が国語科教育に対する関心と意欲を本気で保持しているのなら、文学論とは別立てにした論文集としてまとめるべきだ。でなければ、第三部に収録した論文は文学論に軸を移して展開し直すべきだ。博論としては書き直す余裕はないだろうが、1書として出版する際には書き直してもらいたい、というのがボクの率直な意見だ。

 

 

@ もちろん、まだまだ続くので、いったん切ります。

立教大学・博士論文発表会(1)  渡部裕太  国立近代美術館  関根正二  萬鐵五郎

 24日は立教院生ながら学大昭和文学ゼミの師範代だったクリマン君が情報をメールしてくれたので、ユウタ君(渡部裕太)の博論発表会を聴きに行ってきた。授業などを通して知り合った学生の発表(博論発表に限らず)は基本的に聴くつもりがあるので、別にユウタ君をひいきにしているわけではない。だから参加していたエリちゃん(吉田恵里)や数年前の学習院のジッポ(竹田志保)の博論発表会が聴けなかったのは、情報が伝わらなかっただけなので、ユウタ君の発表会が終ってからエリちゃんにその旨を告げて理解を得た。

 

 実はせっかく都心(池袋)に出掛けるのだから(発表会は午後7時からだし)、どこかの美術館へ寄ってから立教に行こうと考えたものの、都美のハマースホイか近美の「窓展」にするか迷ったのだネ。昔はハンマースホイと言っていたハマースホイが、日本で観る機会が来るとは思わなかったのに実現したのはチョッと驚きだネ。「北欧のフェルメール」と言われるとおりで、明らかにフェルメールを意識しているけれど、フェルメールの明るさ・多彩さを期待してはいけない。見た目が地味そのものだし、室内(のドア)ばかり描いている単調さに堪えられない人には勧められない。といっても、ボクは昔の美術番組(「美の巨人」?)の録画を観なおして言ってるだけなので、外れた観方かもしれない。

 「ドア」ばかり観ているのもツラいと思って、「窓」をテーマにした美術・建築などを集めた近代美術館にしたのは、ここの常設展には好きな日本人画家の作品が充実しているからでもある。関根正二や萬鐵五郎など、あまりお目にかかれない優れた画家の作品が、常設展で観ることができるのが魅力だネ。実生活ではタミって(失敗して)ばかりいるタミルさんは、意外なことに美術や音楽では趣味が高くて、近美の常設展にも詳しいので驚いたことがある。ともあれ近美を訪れる機会があったら常設展もお忘れなくどうぞ。

 

 さて近美に寄ることにしていたのに、当日は朝から脇腹に違和感と軽い痛みが発症してしまったので、大事をとって美術館に寄ることは諦めた。ユウタ君の発表を聴きに行くだけにしたのでゆっくり出かけたら、何と人身事故で中央線が遅れて乗り換えの新宿駅では、ホームに上る階段には人が溢れて大変な目に遭ってしまった。ユウタのやつめ、手の込んだマネをして発表を聴きに行くのをジャマしやがって! と怒ったとおり、後で聞いたらユウタが人身事故を起こした電車に乗っていたとか! 

 (本題に入る前に、メドにしている1000字を超えてしまったので、更新し直しすネ。)

 

 

【『シドクⅡ』の反響】文学研究専門でない人の感想

 ありがたいことに、その後も多くの方から嬉しい感想をいただきながら紹介できなかったのは、ただでさえ忙しい年末ながら仕上げの(?)28日には釣り部先で尿管結石を発症し、その後は身動きどころか頭が十分に働かなかったからだネ(何度も書いたとおり)。

 今回は近代文学研究の専門家の反応ではなく、一般の読者へ《開かれた書》であることを意図した本書がどれだけ届いてくれたかを紹介したい。専門家は思想性(イドオロギー)や文化等々その専門的な立場に阻まれ、テクストを細部にわたって読み込む《シドク》の成果には付き合いきれない人が少なくないというのが実情だろう。作品論の時代・テクスト論の時代以降はテクストを読みこむという、文学研究の基本が忘れ去られて、流行の思潮を追うことに目が眩(くら)んだままという印象だ。最初の『シドク 漱石から太宰まで』の頃に指摘した《作品を望遠鏡で覗く》ばかりという傾向が続いているのが現況で、むしろ優れた歴史家(など)の方がテクストを読むことができる、という転倒に苦笑が洩れるほどである。文学研究は己れを忘れたまま、いつまで彷徨し続けるのだろうか?!

 

 例によって前振り(?)が長くなってしまったけれど、実は専門家以外の感想として「痒(かゆ)い所に手が届く」ような、本人も久しぶりだという手書きの長い手紙をいただき、それを紹介しつつ吾が身の幸福感を改めて噛みしめたい一心というのが実情かな。手紙の主はボクが7年間勤務した都立上野忍岡高校定時制の同僚だったアキラ君(実名は伏せる)からのもの。彼は大学院まで経済学の勉学を積み重ねた人なので、太宰や三島はともあれ安吾檀一雄はほとんど読んだことがないと断りながら、収録された「金閣寺」論について、

 《感服しました。人は処女作を越えることは出来ない、もしくは、処女作にはすべてがあるのかも知れません。これが二十歳の青年の作品とは思えない。「最後の書」にこれを入れた関谷さんの思いを感じました。》

 と、世の「文学通」が言うような、処女作にまつわるお定まりの表現(よく知ってるネ)で絶賛してくれた。褒めてもらって嬉しいながら、「処女作を越えることは出来ない」が当てはまっていては情けない、といったところだネ。さらに喜んだのは、アキラ君が「共感を覚えた」2つの点の中の1つとして、《開かれた書》を目指している点を上げてくれているのだネ。

 《私の属している社会科教育の世界は文学よりもっとひどく、社会を扱っているにもかかわらず、社会に通用しない研究論文・実践論文のオンパレードです。(略)書き手の実存と内容の深さがあり、かつ開かれた書になりうるものを私も書いてみたい(略)》

 本当にありがたい理解を示してくれてまぶたが熱くなりそうだけど、他の人には解りにくい指摘もあって嬉しい限り。

 《著者紹介に、都立上野忍岡高校定時制と記してあること、上忍の卒業生との交流が続いていることを知り(註~同窓会を続けていることを指す)、教員としての原点のありかも感ずることが出来ました。》

 著者紹介には連携教授だった一橋大学や、立教大学を始めとするたくさんの大学名を記さずに、定時制高校の名を記したボクの気持をズバリ言い当ててくれていて感激したネ。さらに「追伸」に《今回の帯のコピー、「又吉直樹さんにも勧めたい!」も決まってますよ。》とまで付け加えてくれているのだから、まったく言うことなし!

こんなに理解してもらえたのは、空前絶後だネ。

【状況への失言】東出昌大、やっぱりネ!

 芸能人の男女関係など、どうでもイイことなンだけれど、こと東出昌大の悪事の暴露となると笑えて黙っていられないネ。ずいぶん前に書いたことだけど、最初に東出の声(姿は見えなくてナレーションだけ)を聞いただけで嫌悪感が込み上げてきたのだネ。理由はまったく分からないけど、声のこもる感じがとにかく「いやな感じ」(高見順の小説名)で耐え難かったのだナ。その後、顔を確認する機会があったけど、見た目は童顔で中高生の優等生によくあるタイプ。映画やドラマはまったく見たことないけど、私生活がやっぱり優等生のイメージが伝わってきたネ。

 そもそも優等生タイプが大嫌いなボクとしては、それだけで東出に嫌悪感を抱く原因だったのだネ。ドラマを全然見ないボクの日常とは無縁で済んでいたのに、なまじ「落語ディーパ」などに出て落語通をひけらかすものだから、お笑い好きのボクの不快感を激しく刺激したのだネ。「明るい子」や「清潔感」を振りまくには、落語が利用し甲斐があると計算したわけでもあるまいが、陰で不倫をするにはもってこいの隠れ蓑になったのだろネ。こんなヤツに落語を語って欲しくない! と番組当初から不快感に堪えて見てるヨ、レギュラーの一ノ輔ほか3人の落語家が気に入っているからだネ。

 ともあれ東出のことだけで言えば、今回の不倫報道は平気で平和な妻子を裏切って行く本性がバレて、「やっぱりネ!」と万歳三唱したいくらいだネ。

 

 杏と結婚した時も感じたけど、今度の不倫相手も女子もボクの好みからするとまったく理解できない趣味だネ。そりゃどうでもいいけど、東出は家を追い出されたまま許されないので「苦しい」とほざいたそうで、それを知ったハリセンボンの春菜が「東出さんには『苦しい』と言ってもらいたくない」とストライクの批判をしたというのも気持イイね。妻子の「苦しさ」など眼中になく己れの気持にしか意識が向かないくらい、生まれながら人間が酷薄なンだネ。

 妻子に原因があっての不倫ならボクも同情しちゃうけど、杏と子供の側には何ら原因が無さそうだから、東出の身勝手な行動という他ないネ。東出と比べるまでもなく、ボクには不倫する原因がありそうだけど・・・不倫加算になるから止めよう。(言葉遊びとしては、以前の「乳輪加算」ほど面白くないネ。)

【ヒグラシゼミ】2月のテキスト 

2月15日のテキストが発表者サトマン君から送られたので、準備できました。

参加希望、あるいはテキストを読みたい方はイチローにメールで請求して下さい。ただし添付ができないメアドの人には送れないので、添付できるメアドを模索して下さい。

 

@ 村田沙耶香の芥川受賞作品は「コンビニ人間」を最近読んですごくハマったので、未読の皆さんにもぜひおススメしたいと思います。文庫で読めます。