デビッド・リンチ  「忘れてしまいたいこと」

朝日に毎日連載されている鷲田清一さんの「折々のことば」は最近苦戦しているようで、あまり心に残らないもの続きの印象だ(残っているものは近いうちに紹介する予定)。
その代わりというわけではないけれど、楽しく読んでいる北方謙三の連載「語る――人生の贈りもの」の第13回にデビッド・リンチの素敵な言葉が紹介されていたので書き止めておきたい。
映画はあまり観ていられないのでリンチも名前しか知らないけど、「ストレイト・ストーリー」という映画の主人公の老人が若者に語る言葉が、北方謙三の言うとおり《胸に迫りましたね》。
 「年をとっていいことはあるかい」
 「細かいことを気にしなくなる」
 「じゃあ最悪なことは?」
 「若い頃のことを覚えていることだ」

若い仲間には通じないかもしれないけれど、先日会った学生時代のジジイ仲間なら共感措くあたわざる名言だと感じ入ることだろう(ちなみに北方はボク等より1つか2つ年上の全共闘)。
もちろん先日は楽しい昔話しで盛り上がったに違いないけれど、語れずに胸の中に止めておくしかない「若い頃のこと」を各自が秘めているに違いない。
唱歌「酒と男と涙と女」(河島英伍)も「忘れてしまいたいことや〜」と始まっている。
個人的には学生時代から遡るほど、忘れたいことが記憶から消せずに沈んでいる。
だから高校まで住んでいた前橋時代の記憶には、思い出すと(ゾッとするような)タマラナイものがたくさん潜んでいる。
中には周囲からは誇らしく見えても、己の心中では恥ずかしくてしかたないものも少なくない。
いずれにしろ若い仲間に洩らして「生きる勇気」の元にしてもらえれば、とも考えてみたりする、気取ったりオツに済ましていたくないから。
とはいえ自分の《自虐》表現が、井伏や太宰の域には遠く及ばないという自覚も一方である。
はてさてどうしたものやら・・・

大井田義彰(編)『教師失格 夏目漱石教育論集』

元同僚の大井田さんから漱石のエッセイ集を贈られたので紹介したい。
同僚だったからというだけでなく、また東京学芸大学出版会(1500円)から刊行されているからというだけでもない。
最近漱石について話をしたばかりだけれど、これは漱石に関する本としてはタイヘン珍しいもので、ボクもほとんど読んだことがない文章がたくさん収められているからだ。
それも「教育論」ばかりであり、さらに「教師失格」という観点で読めるものだから興味を惹かれないわけがない。
大井田さんの解説が行き届いているので、それぞれの文章が漱石の活動における位置付けが明確に分かるのが有り難い。
「教師失格」はあくまでも漱石自身のことを言ったものだけれど、どのように「失格」なのかは読んでのお楽しみ。
唯一よく知られたものである「私の個人主義」を措くと、ボクが読んだことがあるのは「永日小品」で語られているクレイグ先生だけかな。
「永日小品」は院生の頃に越智治雄先生(故人)の授業で読み方を教えていただいた懐かしい作品であり、中でも漱石の記憶にあるクレイグの在り方が忘れられない。
ロンドン時代を語った文章では「自転車日記」と共に笑えるものの一つで両方おススメしたい名文だけれど、「自転車日記」が漱石の自虐ぶりがハチャメチャに面白いのに対し、クレイグ先生はクレイグの存在自体が独特でたまらなく可笑しい。
漱石が個人教授をしてもらいに通ったシェークスピア学者なのだけれど、その自己閉塞的なわがままぶり(幼児性)は漱石の一面にも通じるものだろう。
だからこそクレイグの死の報せを聞いた時の漱石のさり気ない書き方には、先生の人生に対する悲痛な共感が伝わってくるのだけれど。