【近況】前橋高校の故・亀島貞夫先生  糸井重里・金井広明

 『前中・前高(マエタカと読む) 同窓会誌』63号が届いた。ずいぶん前に会員を辞めたはずなのに、毎年送ってくれる。全て無かったことにしたい小中学生時代の記憶とは異なり、マエタカ時代はそれほど嫌なことはなかったけど「同窓会」というのは一般に好きでない(定時制の同窓会は別、現状の生活を知りたいから)。大学でも後輩で万葉集研究の最先端にいるSさんは、東京・横浜だけのマエタカ同窓会でも活躍していて昔から誘われてきたけれど、あの熱心さは全然理解の外に属するネ。学生時代から寮歌が大嫌いで「ああ玉杯に花うけて~」とか聞くと寒気がするけど、マエタカの同窓会も同じ匂いがするネ。

 同窓会誌にはボクの学年(昭和42年卒)の高山清茂クンが近況報告しているけど、記憶が正しければ高山クンは(ボクの苦手な)遠距離走が得意の人かな、医学部の教員を続けているようでイメージがつながらないけど。昭和40年卒の高山和久さんは元中日ドラゴンズ監督の中利夫さんを偲んでいる(令和5年、87歳で死去)。60年に盗塁王を獲得したり、67年には長嶋と争って首位打者になった等の実績を紹介している。新聞のスポーツ欄で中選手が打撃10位までのトップに位置していたのを覚えているけれど、ボクにとっては第2中学の先輩としての敬意も払っていた。中学生で100m走が11秒台だと聞いて驚いたのも覚えている、ボクはマエタカ1年生の時のタイムが12秒3だったけどネ(学年トップの野球部・赤木クンはボクより早かったナ)。

 昭和46年卒の木村一郎さんと福田博美がそろって亀島貞夫先生を偲んでいるので、このブログ記事を書こうと思った。亀島先生と言えば斎藤孝弐先生と共にマエタカの名物教員で、お二方とも東大卒で国語科(現代文)の教師だった。糸井重里が有名なボク等の学年では金井広明クンがズバ抜けて文学的センスが鋭かったけど(金井のことは以前ブログに記したことがある)、お二方とも金井クンには一目置いていたのは目に見えていたネ。

 ボクは高3になる寸前に理系から文系志望に変更したのだけど、高2の最後の頃に未知の亀島先生(高3になって現代国語の授業を受けた)に階段で呼び止められて「君は哲学に関心があるのだって? 三木清の『哲学ノート』は読んだか?」と訊かれてビックリしたネ。先生間で情報が伝わっていたようだけど、『哲学ノート』は読み始めていたので「難しくて解らないです」と応えたのは覚えている。先生も「う~ん、難しいナ」とおっしゃっていた記憶は残っているけど、生徒との距離感が近い感じがしたネ。

 そんな感じの先生だから糸井や金井はじめ亀島家詣でが流行っていて、ボクも1年下の吉田慎一クンと1度亀島家で先生のお話をうかがったことがある。糸井たちは大学進学後も亀島家詣でを続けていたようで、糸井がプロレタリア文学の本をお借りしたものの電車内で置き忘れて失くしたというウワサを聞いたことがある。いかにも糸井らしいと思ったけど、彼が有名になるのはそれからしばらくしてからだ。