『叙説』黒田如水特集号  石川巧  原卓史  小林秀雄論  高橋昌一郎  森本淳生

退職後の楽しみの中心は何といっても買い溜めた本を読むことであるが、中でも今まで拙稿を重ねてきた文学者にまつわる他の著者の本をジックリ検討しつつ自照・自省ができればと期待している(案外マジメなイチロー君)。
現在、大河ドラマで話題沸騰といった感じの如水(官兵衛)を、というより黒田藩を特集した『叙説』最新号を石川巧氏から恵まれた。
このハイレベルの研究誌は、石川氏の師の一人であるシュンテン(故・花田俊典)の熱意で支えられていたものだが、シュンテンゆかりの方々が遺志を受け継いで充実したものを出し続けているのは嬉しいかぎり。
有力な継承者である宮本常彦氏も今号で力作論文を寄せているが、まさかのブーム(イチロー君の関心にピッタリ重なった)になっている如水を主人公とした安吾「二流の人」を含む論をやっとの思いで発表したばかりの私としては(『坂口安吾 復興期の精神』双文社)、やはり石川氏の「黒田如水の淪落」を拝読して刺激され多くを教えられた。
同じ安吾の「二流の人」を論じているのであるが、「二流の人」を出来上がったテクストとして固定しながら論じた拙稿と異なり、石川氏は広く「二流の人」関連の複数のテクストを視野にしつつ論じているので、論点が違うだけに一段と面白かった。
拙稿をお読みいただいた方にも一読を勧めたいが、安吾歴史小説に新たな照明を当てた原卓史氏が官兵衛を主人公にした小説を紹介しているので、一般の読者にも便利な特集号である。

必然性を感じなかったので退職記念の本を出版するのは控えたが、死ぬまでに出すとすれば安吾を中心とした著書を最後に作りたいと考えている。
だから書くために読んだり考えたりするのは安吾が中心なのだが、昨年度立教大院で「近代絵画」を取り上げたばかりなので、小林秀雄にも強く興味を惹かれている。
というか、さすがに天下の小林秀雄だけあって、文学史の底に沈んで忘れ去られたと思っているのに、時々関係本が出続けているので驚きつつ刺激を受けている。
ただ小林秀雄論が出るたびに小林のことを思い出させられるのはいいのだが、読むとそのほとんどにウンザリさせられるのでツライ。
どれもがクダラナイ本ばかりだからであるが、昔からこの手の駄本は出版されてはいたものの、出るペースが速くなった感じだから一層ツライのである。
茂木健一郎のものが出た時は、先行論には無い切り口で小林を論じている感じがあったけれど(拾い読みしただけど)、その他は紙くず同然のシロモノばかりで読む気にもなれない。
橋本治の小林論が出た時も本屋で立ち読みしたまま無視していたものだが、佐藤泰正先生から電話を頂戴して「私は橋本氏の小林論を認めないが、あなたはどう思うか?」と問い詰められて時は困ったものである。
先生と山城むつみ(傑出した批評家)との共著『文学は〈人間学〉だ』(笠間書院)をいただいたら、山城氏も突然佐藤先生から電話でドストエフスキーについて質問や見解を聴かされたのを契機に、ドスト論を完成することができたと記してあったので笑えた。
ともあれ橋本治の小林論は立ち読みして読むに価しないと判断した、と正直にお応えして許していただいた。
それにしてもあのお年(1917年生)で現役バリバリの研究者でいらっしゃるのだから、呆れるほど尊敬申し上げているお方である(いつまでもボケないで現役なのは秋山虔先生も同じ)。

有り難いことに、学大2年生に小林秀雄に関心を抱いてくれている女子学生がいるので(男子でもイイのだが)、小林本は下らぬものでも研究室に具えるようにしているので、時間に余裕ができたおかげで高橋昌一郎という人のものにチョッと目を通して全身の力が抜けた。
それくらい悪質な紙クズで、読者を小馬鹿にしきった本である。
第三章を我慢しつつ読んだのだが、依拠・引用されているのが小林の授業を聞いた元学生や編集者や小林の(オバカな)妹の証言ばかりで、先行する批評・研究の消化が全然なされていない軽薄そのものの内容である。
と思ってバカにしていると突然ウィトゲンシュタインの名が引き出されるので期待すると、授業が「自問自答するスタイル」で両者が似ているという程度の低い比較に止まるのでガッカリさせられる。
もっとも脱力失笑させられたのは、昭和十年の小林の言動をまとめながら《文士劇「ドモ又の死」に出演するなど、充実した活動を行っている。》(113頁)という理解、あるいはバカバカしい誤解である。
小林自身がここを読んだら「ふざけんじゃねェ!」と怒り狂ったであろう。
小林秀雄文士劇に出ることで「充実」できるような生き方をした批評家・人間では全くないし、ましてやこの年は小林にとって専門の批評の仕事の上でも、〈関係〉の飢えが満たされていく点でも「充実」した時期である。
紙の無駄、読者には時間の無駄を強いるこんな本を書かせる編集者(朝日新書)がよほどの無知・無恥なので、著者の高橋氏がオバカなのではなかろうが(日本の大学ではなくミシガン大学、それも修士止まりなのでつい軽く見てしまうが)小林秀雄の本を書くなら、もっと時間をかけてテクストを読み込んでから書かないとバカにされて終わるだけである。
近著でもう一冊、選書型のオソマツ極まる小林論(古典論が中心?)があったと記憶するが、退職前に研究室に返却してきたので確認できない。

クダラナイ本のことばかり記していては書く方も読む方も不愉快なだけなので(買わずに済む得はある)、素晴らしい小林秀雄論を紹介・推薦しておきたい。
といっても近著ではなく10年以上前の本であるが、小林秀雄研究者の間でもキチンと評価されていないので残念だ。
数年前、小林研究者に勧めたら驚いて見直していたが、森本淳生『小林秀雄の論理 美と戦争』(人文書院)がそれである。
森本氏は小林研究者でもなく、ましてや日本文学専攻でもなく、フランス文学・哲学を専門にしていながら、その論述や資料の踏まえ方・扱い方は日本文学研究者以上のレベルで驚かされる。
退職後の特権を利用して、今森本さんの著書の第五章「美と戦争」を再読しつつ改めて教えられているところである。
オリジナルな立場から論じるその切り口の面白さはご自分で味わってもらうことにして、予定外に長くなった記事を閉じたい。