香西秀信  宇都宮大学国語教育学会 

昨年、身近で惜しい人間を二人ほぼ同時期に喪い、心に開いた穴を埋めるべく二人のことを記しとどめておこうと思いながら、果たせぬままなので気持が落ち着かない。
その一人の追悼を兼ねた学会が、5月3日に宇都宮大学(私が1982年から10年勤務した大学)で催されたので喜んで参加して個人を偲んだ(5月連休は例年、宇大・学大卒業生有志で大洗に釣行するのが習いであるが今年はズラした)。
かつての同僚・香西秀信が、私より一回り以上若いにも拘らず病死したと聞いた時には驚くばかりだった。
彼が琉球大学から宇都宮大学に赴任してきた頃からの付き合いだが、今どきの研究者なのに福田恒存に心酔しているところがいたく気に入った。
若いのに流行の理論に取り憑かれたりせずに、この「保守」を代表するような評論家に打ち込んでいる香西氏は、(全共闘の我が身ながらも)シッカリした自己を保持している点で信頼を寄せるに足りた。
拙著に対する氏の評価も、変化球の(テクスト論的な)『シドク』よりも、直球勝負の小林秀雄論を良しとするところが世代を超えてオジサン的で嬉しかった。
学会の記念行事でも終了後の偲ぶ会でも故人の思い出が語られたが、皆さん口をそろえたように香西さんのシャイな所を強調していたのは今さらながらいたく納得したものだ。
氏は常に自分の意見をハッキリ主張することができる人で、その点でも信じられるのであるが、他人にモノを言う時のその表情には羞いが溢れていたものである。
研究室を訪れる学生に対する香西氏の決まり文句は、「茶ァでも飲むか」だったそうであるが、知らぬ人が聞くとエラそうな態度に見えるであろう。
しかしその場に応じて臨機応変な選択ができる器用さとは無縁なのが香西氏の人となりなのであって、だからこそ「茶ァでも飲むか」は氏にとってこの上なく便利なコミュニケーション・ツールだったのだと思う。
自分と相手の間に隙間ができたらタイヘンだと焦る思いを重ねてきた者にとって、隙間を埋める便利な言葉としての「茶ァでも飲むか」は、まさに香西氏自身を救う呪文だったのだと察している。
そんな人間がよくも結婚できたもンだと思っていたら、当日奥様の参加を得たのでそのお姿を「観察」できた。
なるほどこの女性なら「茶ァでも飲むか」に、他の者には伝わらない恋心を感受できたのであろう、という慎ましさと賢さが満ちていた。
偲ぶ会の時のご母堂の長話し(いつもでも長く聴いていたかった面白さ!)の、ストレートに人を引き付ける魅力が香西氏に受け継がれていれば、氏はもっと生きやすかったはずだし病気にもならなかったのでは、と妙な惜しみ方もしたものである

さてシャイな故人を偲ぶ言葉を聞いていると、まるで我がことのように思われたのであるが、私は香西氏のように簡単に見抜かれないつもりではいる。
氏ほどではないながら、時にはエラそうな物言いをしているように受け止める人もいるようではあるが、「実は・・・」と見抜く人もいるので嬉しいやら困るやら。
こちらから「実は」を言えば、子供の頃から激しい人見知りで、ハッキリ覚えているのは中学の何年生だったかの新しいクラスで、素晴らしい中距離ランナーだった黒田クンから「おとなしい」という言葉を掛けられたことと、大学新入生の自己紹介の態度を後からヤマちゃんから「その後の印象と違う」と呆れられたことである。
そんなことも「イチローの作られ方」に記しておくべきだったかとも思うが、キリの無いし・・・
(もう一人の木邨雅史のことは以前少し書いたが、キチンと記しておかないと気が済まないのでいずれ。)