日本人の人質  安倍首相  シャルリー  筑波大教員  

いろいろと言いたいことが溜まるのもトシのせいかね。
他のことを記しているうちに、世界の情勢の方が加速度的に展開して行くので驚くばかり。
フランスのテロリストの殺戮が遠国(おんごく)の話だと感じていたら、今度は日本人の人質騒ぎだから他人事(ひとごと)ではなくなってしまった。
止せばいいのに安倍のバカが現地近くまで出かけて行って、思慮を欠いたパフォーマンスを振りまくからこんなことになっちまったのだろう。
アメリカ追随で点稼ぎを試みるのはジジイ(岸信介)譲りなのかね?
対立が強まるほど相手を刺激しないことが大切だと考えているので、安倍の軽率な言動が憎々しく思われる。
そもそもシャルリーが何故あれほどイスラムを戯画化し刺激するのか、全く理解できなかったので、テロに遭ってしまったのも仕方ないところもあると感じていたものだ。
もちろん無抵抗の人たちを殺しまくったテロリストには、この上ない憎悪を感じた上での話だけど。
すぐに思い合わされたのは、むかし筑波大学で日頃からイスラム教を茶化していた教員が、モスリムらしき者に殺された事件だ(解決したのかな?)。
(若い頃にユダヤ人に苛められたヒットラーが、ユダヤ人殺戮に奔ったように)その教員もイスラムから被害を受けたのがトラウマになったのか不明ながら、必要もないのにイスラムを侮辱したのも悪いと受け止めたものだった。
それにしても殺さなくても良さそうなのに、という強い違和感を抱いたのは確か。
その後のイスラム過激派を見ていたら、彼らには命の重さが理解されていないことが分かったものの、どうにもできない空しさが伴うのでヤルセナイ。
シャルリーもイスラムでは禁じられているマホメットのイコン(聖像)を描いてしまうに止まらずに、それを毎回戯画化してしまえば全てのモスリムが不快感を抱くのももっともだろう。
シャルリーは個人ではなくて多くの読者を持つメディアだから、それなりの自覚や責任感を持って表現すべきなのに、どうもフランスなりの事情があるようだ。
それをハッキリしてくれたのは20日の「朝日新聞」(まだ取っている)の「耕論」の意見だった。
この「耕論」というのは、一つのテーマをめぐって二人の論者が意見を述べる(記者によるインタビュー)欄だ。
今回は内藤正典さんが「西欧の原理を押しつけるな」という見出し通りの意見を述べ、ベルナール=アンリ・レビというフランス人が「宗教への批判は絶対の権利」という見出しの意見を展開している。
内藤さんは一橋大にいた昔からテレビなどメディアでも妥当な考えを発信している人で、今回の意見にも賛成だけれど、レビを知っている人は少ないだろう。
新聞の注記によれば「パリ5月革命世代を代表する知識人」ということだけれど、我々日本人には馴染みの無い人だ。
ほぼ同年齢ながら聞いた覚えのない人であり、同じ頃に学生運動をしていながらもシャルリーに関しては同調できない見解が述べられている。
日本とは全く異なって極めて多くの移民を受け入れているフランス人ではあるけれど、同じように移民を受け入れているドイツと異なって、フランスではモスリム女性がベール(正式な名称は忘れた)を被ることを法律で禁じているのが理解し難かった。
民族や宗教に関係無く受け入れたのだから、モスリムだけがベール(宗教)にこだわるのは許せないという考え方だというのは頭では分かる。
頭では分かっても納得できなければ、宗教間の葛藤や溝は解消できないのも当然。
レビが言う「宗教への批判は絶対の権利」だとしても、シャルリーは「批判」を超えて「侮辱」になっているとしか受け止められないのだが、レビにとっては「侮辱」も「批判」のうちなのだろうか?
今ではパソコンで新聞も読めるそうだから、詳しくはお二人の意見を読み比べてもらいたいのだけれど、民族や歴史の違いの大きさを感じてさせて無力感にもつながってしまうのも已むをえない気がする。
ご存じフランス革命でも、「理性」を宗教にしようという動きもあったと聞いたことがあるが、さもありなんという国民性を感じたものだ。
頭(理性)が出した結論は「絶対の権利」として守るというのがフランス風だと言われてもなぁ〜・・・