高田渡  山之口貘  沖縄料理店「おもろ」  デヴィ夫人

たぶん「チマタの噺」という鶴瓶がやっている番組だと思うけど、先週だったか大杉漣が出演してイイ話になった。
(この番組なら火曜の午後11時58分からテレビ東京で、今日のゲストはデヴィ夫人だから容貌と同じくコ汚ねェことしゃべりまくるンだろうから見ないけど。
あのババアを使う番組の気が知れない、まったく! 確か芸者の頃に、インドネシアスカルノ大統領に第4(?)夫人として買われて行ったのを子供心に忘れない。
アメリカCIAの暗躍でスカルノが殺されたのをいいことに、その後はハシャギ過ぎだし、あれだけ汚くなったらテレビに露出するのは控えてもらいたいものだ。)
話が汚くなったので元へ戻ろう。
今の鶴瓶はどう見てもオヤジにしか見えないだろうけれど、あれで若い頃は音楽にも通じていてよく知っている(「あのねのね」とは昔からの馴染みの間柄)。
番組では2人が懐かしそうに故・高田渡の代表作の1つ「生活の柄」をウロ覚えで歌っていた。
《歩き疲れては、 夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである 草に埋もれて寝たのである ところ構わず寝たのである》が冒頭の4行だ。
正確に言うと「である」は「です」という歌詞で、実は引用は沖縄出身の山之口貘の詩である。
ステージでギターを弾き語りしながら、しばしば眠り込んでしまうという渡の歌も好きだけれど、貘は大好きな詩人の1人なので皆さんにもおススメしたい。
「生活の柄」は現代詩文庫(思潮社)にも講談社文芸文庫にも入っているから、この辺りから読み始めるとイイと思う。
この詩はいかにも貘らしくてイイけれど、沖縄詩人らしいとっておきの詩は機会を改めて紹介したい。
貘といえば、立教大に非常勤で通っていた時に、貘が出入りしていたという池袋駅近くにある沖縄料理の泡盛店「おもろ」で、何度か院授業の打ち上げをしたのを覚えている。
1度はオソトやナグーといった女性群が目立っていた学年で、オソトがむやみにひっくり返ってスカートの中を見せたがっていたのを覚えている(他の店でもやっていたけど)。
もう1度はイクオちゃんやトノなどの男子が多かった学年で、帰りに借りた傘を翌週返却しようとしたら貸してくれた院生が受け取ろうとしなかったので???
他の院生もニヤニヤしていたので問い詰めたら、その折りたたみ傘をボクがあらぬ所に突っ込んで自慢したというのだけれど、本人は全く記憶していない。