上野千鶴子  二者択一の否定  国会前デモ

桐原の仕事はいったんケリがついたものの、若干の残務があるのでサッパリしてはいない。
上野千鶴子については記したことがあったけど、ひところまでの猪突猛進の影を払拭して極めてマトモな言動をしているのに、世間が相変わらず昔通りのイメージで上野を捉えて忌避しているのは惜しまれる、と書いたと思う。
朝日に他の人(故車谷長吉も良かったが、岡田斗司夫がイイ)と連載している上野の人生相談は歴史に残る素晴らしい回答ぶりでいつも感心している。
それなのに長野辺りで講演会を依頼しながらも断ってきたというので、上野が抗議したという新聞記事を読んで、長野某所関係者のセンスの無さ・低能な判断に呆れたことがあった。
その後は上野に謝罪して和解したという記事も読んだような気もするが、当然だろ。
9月25日の「文化・文芸」コーナーで「変わる女性の性表現」という表題の対談で(相手は北原みのり)、上野に次の発言があった。
《全肯定も全否定もせず、複雑なことを複雑なままに語り続けるしかない》
上野がこれほど成熟した考え方ができるようになったとは、まことに我が意を得た言葉でファミリーの皆さんは聴き慣れているだろうものの、改めて胸に刻んでおいて欲しいものだ。
女性たちの戦いにおける敵味方との関係の仕方をどうするか、という文脈で語られているのだが、敵と味方に分ける二者択一を迫ってはならないという主張だ。
上野の最後の言葉は最近の国会前のデモについてのもので、これもイタク納得できて印象に残っている。
《40年経ってようやく、「デモができる社会」になった。シニシズムに代わる世代が現れているのだと思います。》
上野はシニシズムを「正しさへの嫌悪感」と註しているが、「今さらデモなんて・・・」という全共闘運動以降のシラケた時代が長く続いたのに、意外に若者を中心にデモを始め直接民主主義の言動が現れてきたので、日本の将来も悲観ばかりしていてはいけないようだ。
内田樹もクラスメートも誘ってデモに参加しているそうだけど(ボクには誘いが来ない)、彼は学生時代にはデモに参加していた様子は無かったから新鮮な気持でガンバッテいることだろう。
近藤ハカセによると劇作家の永井愛さんも参加しているそうだけれど、彼女はどの世代なのだろう?
昔ウンザリするほどデモに参加していた世代だとすると、それでもまた参加しているなら頭が下がるばかり。
こんなことを言うと、亡くなった鶴見俊輔さんにコッ酷く叱られそうだナ。
あの人はウンザリしていても奮い立つパワーに満ちていたからなァ〜。

@ 上野の対談には「セクハラ事案生成ロボ・ペッパーちゃん」とか「ろくでなし子」さんの女性器作品が話題になっているが、両方とも初耳でビックリしながら自分の時代遅れぶりを知らされた。