ヘイトスピーチ  朝鮮人虐殺(関東大震災時)  南京大虐殺  火野葦兵  「こころ」

前に記すと言いながら未だに果たしてないので書く。
具体例があった方がいいと思い新聞記事を探し出してきた。
朝日の8月29日の「あのとき それから」という欄で「関東大震災朝鮮人虐殺」という記事。
ヘイトスピーチ・デモで「朝鮮人、シナ人をぶっ殺せ!」「皆殺しにしろ!」と叫んでいると紹介されていてビックリしてしまった。
あの連中がそこまで幼児化・低能化しているとは思わなかったので、大震災の時の朝鮮人虐殺を連想することができなかった。
指摘されてみれば、心情的には全く同じレベルのものだから、災害時など状況しだいでは虐殺が繰り返されても不思議はないということだ。
アメリカ社会のように銃が氾濫していたならば、と思うとゾッとする。
記事には当時見聞した人の証言も紹介されていてオゾマシイが、作家の保坂正康さんの父親は求められたので水をやろうとした留学生が、自警団(市民)に腹を割かれて惨殺されたのを目の当たりにしたものの、75歳まで息子に語れなかったとか。
墨田区の市民団体が証言を集めたら、「河原で10人くらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍が機関銃で撃ち殺した。」というのもあったと知ると、中国侵略時の南京事件の虐殺までが想起されてくる。
韓国や中国における「日本人は残虐だ」という反日煽動が正しいと思えてきそうな証言ばかりだけれど、状況しだいではフツーの人間が残虐になってしまうのは日本人に限られるわけではない。
誰でも知っているドイツ人のユダヤ人殺しも、差別意識を煽(あお)られてフツーのドイツ人の多くがやったことだからこそ、その反省から戦後はナチズムが法的に禁止されたり、難民に対して開こうとしている現在の姿勢が貫かれているわけだ。
それに比べると日本は安倍自民党が率先して自省も自制も拒絶しているので、世界でも恥ずかしい国に落ちぶれている(追随しているアメリカだけには喜ばれているが)。
朝鮮人・中国人虐殺の根底にも差別意識が指摘されているが、震災時には軍の関与もあったのはアナーキスト大杉栄たちが甘粕大尉などの軍人に殺されたことからも間違いなかろう。
「虐殺はなかった」とまで言い出す人も現れたというのだから、南京事件従軍慰安婦などを事実ではない(或はやっても当然だから反省する必要はない等)と言い出す橋下大阪市長のようなヤカラも思い合わされ、ヘイトスピーチには警戒を怠ると大変だ。
文学の問題を付しておけば、火野葦兵「麦と兵隊」の原稿にあった中国人虐殺に触れた箇所は、発表当時から削除されたままだ。
戦記もののベストセラー作家だった火野が、罪意識を引きずり続けて戦後20数年後に死因が自殺だったと明かされたのを忘れない。
もちろん火野自身が殺戮したというのではなく、日本人同胞が殺したり侵略したりしたことに対する罪の意識である。
火野自身は覚めていたのであり、だからこそ戦後に己を問い詰めて自殺せざるをえなかったという悲劇になったということだ。
中国戦線では、ごく普通の市民が兵隊になると日常のルーティンのように中国人捕虜を殺していたというし、大震災では軍や警察が「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人は殺しても構わない」などと触れ回り、それに乗せられて普通の市民が虐殺に加わったというのだから怖い。
つまりデマなど周囲の言動に同調して人を殺しても罪を感じなくなるというのが普通に行われてしまったという事実を顧みると、同調圧力に抗して言動する理性・悟性を保てるように日頃から意識していないと危ない、ということだろう。
漱石「こころ」の先生ではないが、「自分だけは大丈夫」などとタカを括っていると、自分を裏切った叔父と同じように他人(K)を裏切ってしまうから怖いのだ。
ところで留置所にいた朝鮮人を殺せと殺到した群衆数百人から朝鮮人を単独で守った警察官がいた(サカモトという名だったと記憶する)というエピソードを読んだ記憶があるのだが、詳細をご存じの方がいたらご教示下さい。