鳥越俊太郎氏への選挙妨害  「週間新潮」「週間文春」  小池ゆりこ・自民党の謀略?  才能と倫理(文学と実生活)

鳥越氏が「週間新潮」を選挙妨害(公職選挙法違反?)で訴えたと聞いた。
以前ブログに「文春」と記したので、最初から「新潮」だったとすれば誤認だったので「訂正してお詫び」しなければならないので、その用意があることは記しておきたい。
どなたか正確な情報をお寄せ下さい。
とはいえ両誌とも保守反動ぶりでは共通するので大差無かろう、文春の方が下品で下ネタ(タレントの不倫も含む)が好きなイメージが強い。
気になるのは、どう考えても選挙妨害が見え見えなので、鳥越氏を「病み上がり」だと差別視した小池ゆりこの陰謀なのか、自民党(増田陣営)が週刊誌を利用したのか、下司の1人として勘ぐらざるをえない。
前にも書いたとおり、週刊誌の記者というのは人間としてサイテーの部類に属しているヤカラばかりで、他人(ひと)の脚を引っ張るためには何でもやる浅ましさで、小池や自民党と結託するのはお手の物だ。
よりによって選挙の最中に下ネタ騒ぎをするのだから、単なる欲求不満で他人を傷つけるということではないのは明らか。
アメリカの選挙ではテレビでもネガティブ・キャンペーン(相手への攻撃)が当たり前のようだけれど、日本では保守反動の週刊誌が公然とやらかしているということだ。

鳥越氏の下ネタ騒ぎはどうでもいいけど(小池や増田氏の下半身が法的関係外で活躍していようとも)、都知事としての能力と下半身の能力は直接関係ないということは押さえておくべき大事なことだ。
問題を広げれば、その人の仕事に対する評価と、下半身の活動とは直接的には関連付けられないということだ。
もちろん教員や聖職(最近話題の善光寺のエロ坊主など)の場合は切り離し難い面もあるけれど(生徒・学生・信者の信頼は裏切れない)。
ずいぶん前に書いたことをくり返すけど(プリントしてないけど記録は残っているのかな?)、日本では専門職の能力と下半身の問題が短絡されやすいのは困ったことだ。
古くは野村元ヤクルト監督、最近では原巨人軍監督が下半身で問題にされたけれど、彼らの野球監督としての能力は下半身の活躍ぶりとは直結できないのに「責任」問題になりやすい。
1ケ月も持たなかった自民党首相は名前さえ忘れられているけれど、首相としての政治的能力を発揮するヒマもないうちに、大金はたいて特定の若い女性を買い続けた下半身の活躍の責任を取らされて辞任したものだ。
フランスでは左翼系の老大統領が記者会見の席で、洩れたばかりの「隠し子」について問われた時に、一言「関係無い」と言って片付けた(片付いた)のと比べると、日本(人)の〈才能と倫理〉についての考え方とは大きな隔たりがあって興味深い。
野球を例にするとバットは夜昼振るうので混乱するから、文学芸術の例を上げよう。
これも筆は夜昼揮う(ふるう)じゃないかと言われると苦笑せざるをえないけど、まア聞いてくれ。
太宰が典型的かつ有名なので分かり易い例になるだろうが、女性問題を含めて彼の実生活がいかにイイカゲンなものであろうが、彼の残した作品に対する評価は直接関係付けられない。
左翼思想(倫理)が勢いづいていた戦後しばらくの間は、太宰文学に対す評価は低いものだった。
奥野健男という評論家や多くの研究者によって否定的評価がくつがえされたのは、太宰に限らず文学芸術の評価が倫理と切り離してなされるようになったという点でも画期的なことだったわけである。
古くは平野謙という評論家がまとめた「文学と実生活」というテーマにつながる問題だけれど、「才能と倫理」は別だという常識はまだ日本人のものにはなっていないようだ。
だからこそ低級な週刊誌が受け入れられているわけで、政治屋の側でも利用したがるということになる。
「バカな都民は」鳥越氏が下半身問題で騒がれればそれだけ「小池を選ぶ」気持になり、「選んだ後でホゾをかむ」(舛添の時の二の舞いで後悔する)ことになるのだろう。