東京学芸大学職員録  中島裕昭

見事な付け句に誘われて、また小池ゆりこのことを記したら気分が悪くなった。
それで思い出されたのは2・3日前に送られてきた「東京学芸大学職員録」だ。
名誉教授には毎年送ってくれるものと見える。
国語講座の人事は聞いていたので見るまでもないけど、デグチャン(出口利定学長)体制が上手く行ってるかが気になったので最初のページだけはチェックした。
デグチャンの次には、理事・副学長として長谷川正さんが記されていたので安心できた。
学長選挙の際には、このお2人のどちらかが学長になったら(他にも候補がいたけれどマスゾエ=俗物ばかり)、もう1人がそれを支えてもらいたいと期待していた(のはボクだけじゃなかったろう)からだ。
大学運営が多難な中、その体制が維持されているように見えたのは良かったけれど、それに続く名前がマスゾエが別のマスゾエに代っただけだったのでガッカリした。
信頼できない連中が並んでいたけれど、最後の方にマナブちゃん(大石学)の名があったので少々救われた(太田伸也さんもアテにできるかな)。
危ない名の中でも特に(個人的に不利益をこうむったので名を出すが)中島裕昭が理事・副学長に名を連ねているのを見たら、小池ゆりこに誘発された不愉快さがそのまま続いた。
在職中ボクが中国人留学生に対するセクハラやり放題のクレイ爺(国語科同僚)と、セクハラを見逃そうとした村松泰子執行部を追及したら、執行部がクレイ爺ともう1人のハラスメント教員を停職4ケ月とかの処分をしたのは良かったけれど、一緒に追及された腹イセに執行部がボクまで半日分だったかの賃金カットという処分をやりおった(ケツの穴の小さい無能な連中ばかりだった)。
その過程で処分対象者であるボクを「教育研究評議会」(?)に呼びつけて申し開きを言えというから、勇んで行ったらメンバーだった中島裕昭の姿が見えないので失望したものだ。
ボクに対する執行部の処分理由は「批判はともあれ表現の仕方に問題がある」というものだったけれど、生来の「言葉の魔術師」的豊かな表現力が発揮されただけなのに、それを処分するという「表現の自由」に対する弾圧だった。
文学研究をしている身にとって、これほど大事な問題は無いのでここぞとばかり気を張って参加したのに、同じ文学研究にいそしんでいる中島裕昭が欠席していたので(実はもう1人いたのだけれどこれも欠席)せっかくの「表現の自由」の問題を受け止めることができる相手がいないので(あとのメンバーは学長を始め低能なマスゾエばかり)話す元気も失ってしまった。
その後に議論の時間が保証されているものと思ったら、こちらの主張だけで終わってしまったのでマスゾエ達が馬鹿ヅラ揃えて退屈そうに構えていた理由が分かった(変な評議会!)。
独りでも十分論破できる自信があったのはいつも通りだったので。
そもそも中島が研究しているブレヒトは反体制の劇作家として知られており、文学ジャンルの中でも演劇関係者は特に権力から弾圧されてきた歴史があるのだが、その中島が「表現の自由」をめぐる問題をハナから忌避したのは恥を知るべきだ。
もっとも、それまでは親しくしていたのに、評議会後にはボクに遭うと申し訳ないように目をソムケていたのは確信犯的欠席だった証拠。
目前の不正と闘わずに(学内)権力にヒザを屈するという不甲斐無さは、ブレヒト研究者を始めとする文学関係者全員から軽蔑されても仕方ない。
中島が指導していた演劇サークルの公演も観に行ったこともあったけれど、こんな腰砕けの教員どもはイザという時に学生も守れずに真っ先に逃げ出すに違いない。
安倍晋三たちが日本の若者たちを戦場に駆り立てようと企んでいる今日、学生を守る気概が無い教員は大学から去るべし!