メールを復旧してくれた人々  アレクシ・ケイ・キャンベル「弁明」(戯曲)  フェミニズム  田嶋陽子

メールの不具合で一時は絶望的状況で落ち込みそうだったけど、皆さん特に3人の方から期待を超えたご助言・ご協力をいただき助かった。
生来苦手な機械、特に電子機械(パソコン)では在職中から、同僚の木村守さんや斎藤純男さんに購入する機種選定やその後のアフターケアまでやっていただいていた。
教員のみならず学生たちには困るとすぐに換わって操作してもらったりしていたけど、特にヘイカやリューマンにはブログ設定を始め種々細かいことまで代行してもらったり・自宅まで故障を治しに来ててもらったりしていたものだ。
今回も木村さんや富士通勤務のアマッチ・呑み部長、それからブログに記したヒッキーさんのお三方にはとりわけご助言・ご協力いただいたお蔭で何とか復旧できた次第。
アマッチの低音の美声を聞いたことがある人なら分かるだろうけど、(メールの受信ができなかったので)彼がすぐに電話で助言してくれようとした模様ながら、耳が遠くなったジャミラが不審電話と勘違いして(たぶん自分ではケイタイで事が済んでいるので自宅の電話は不要なので)電話線を切ってしまい、ボクがそれに気付くまで5日ほどかかってしまった。
お蔭でその後のアマッチの電話も木村さんの電話も10回前後ずついただいたようだけど、不通のままでこの上なく申し訳ないことをしてしまった。
ヒッキーさんはハガキで追加助言もしてくれたけれど、相変わらずのジャミラの傍若無人ぶりには怒りと呆れの気持でいっぱいになる。
こんな存在と同じ屋根の上で生活するボクに同情しながら生きる勇気を得てくれれば、とても嬉しいといつも思っている。
だから「明朗会計」をモットーに自虐ネタを隠すことなく自己暴露している次第だけど、それはボクに相談してくれる仲間たちの惨状を知ると(具体的には言えないけど)、それに耐えながら生きている強さに励まされるからだ。
今でも自分や家族が置かれている悲惨な状況に耐えながら生き続けている仲間(や友人)の強さに思いを馳せながら、ボクの退職金を横領同然にしながらボクに新たな外での労働を強いているジャミラの仕打ちに耐えている。
電話線を切られるくらいボク自身にとってはジャミラが強いる労働より我慢ができるけど、それがボクのための助言の電話だとすれば申し訳なくてジャミラが許せなくなる。

チョッと酔ってハメを外しているかな、どうせBSプレミアムシアターを観るので呑みながらブログを記してもいいかなと自分を甘やかしているところ。
アレクシというイギリスの未知の作家が書いた「弁明」という作品を、文学座がアトリエ公演したもの。
ヒロインが安手のフェミニズムが蔓延した頃の美術史家で(一時期一世を風靡していた、と在職中英文科の先生から聞いたことがある)、彼女の放つ観念的でジコチュウな台詞がジャミラの発想に重なって聞こえたので、ついかき過ぎてしまったかもしれない。
安手のフェミニストというとバカを絵に描いたような田島陽子がその典型で、他者が眼中に無い故の低能で迫力ある言動に比べれば、小木博明のバカさ加減などカワイイもので許せるきにもなるというもの。
その田嶋陽子がテレビから消えて心底喜んでいたら、関西で潜伏していて昔の天敵・舛添の不始末のお蔭で関東でも復活してしまい、見た目も発言も不快でハラが立つ。
そんな田嶋に比べれば、「弁明」のヒロインは遥かに頭が良くて研究もジョット(先日ブログで話題にした記憶があるけど)のフレスコ画について評価されているようだけど、ご多分に洩れず夫や子供たちと上手く関係できない様子が演じられているところ。
結末がどうなるか不明ながら、この辺で。
(「弁明」が終ると次の演目、清水邦夫作「狂人なおもて往生をとぐ」が始まるけど、最後まで観ていられるかな・・・録画するから大丈夫だけど。)