政治評論家の竜崎さんという人は鋭いのか鈍いのかハッキリしないと感じていたけれど、先日の「上田ニッポンの過去問題」(水曜TBS)では切れ味を見せていたので感心した。
小池百合子が人まね乞食だということは公然たる事実だけれど、中でも小泉純一郎のマネは誰しもが指摘することではある。
逆に両者の差異については指摘されることが無かったと思うけれど、竜崎さんがそれを的確に差異化して見せたのは面白かった。
小泉はなにをやりたいかハッキリしていたけれど、小池の方はいったい何をやりたいのかが伝わってこないという点で、決定的に違っているというのだ。
小泉はやりたいことを実現したらサッサと引退したけれど、小池は何をやりたいのか不明だから豊洲問題のようにいつまでもラチが開かないままで、自分のアピールだけは続けるだけだという分析は見事だった。
トランプがアメリカ・ファーストを唱えながら自分ファーストであるのと同様で、小池は都民ファーストを唱えながら実は己れのことしか考えてない小池ファーストでしかない、という姿を鮮明に浮かび上がらせた分析だった。
その意味では政治屋とも呼べない、政治を利用するだけの目立ちたがり屋でしかない。
逆に小泉が政治屋に止まらない、日本では珍しい政治家とも呼べるような存在だったと言えるのは、引退してからも《反原発》の運動に関わり続けていることが証明している。
最近の報道で明らかになったように、フクシマ以前にも東海村に未処理のままの危険な放射線汚染物質が多量に放置されたままで、処理するにも何十年もかかるとのことで(若い生命の将来を考えると)安心できたものではない。
小泉純一郎はそれも見据えることができた政治家で、「《原発》はトイレの無いマンションのようなものだ」という名言を残しているとのこと。
見事な言葉ではあるけれど、もっと広めて《反原発》の意識を広めていかなければならないと痛切に思う。
@ くりいむしちゅうの上田がMCを務めている「ニッポンの過去問題」はとてもイイ番組だと思うのでおススメ。
上田は海砂利水魚と名乗っていたころから頭の良さを感じていたけれど、コンビの有田は上田のお蔭で露出し始めたものの、当初はプロレスの長州のマネしかできない無能さだったものの、そのうちに無芸ながら何とか自立できる存在になったのは不思議。
それに比べると「おぎやはぎ」の小木は自立できないまま、矢作のお蔭で何とか芸人として食わせてもらっている寄生虫の感じは免れない。
バカで無芸という芸人の代表として許しがたいと思っているけれど、利口で無芸なのにクイズ番組だけで食いつないでいるロザン宇治原も早く「引退」して小木と共に姿を消してもらいたいものだ。