中西進より梅﨑春生  ノストラダムスの予言  品田悦一  西郷信綱  「万葉集」より「幻化」

15日夜

先ほど遅い夕食を摂りながらチョッとだけBSプレミアムの「ダークサイドミステリー」覗いたら、ノストラダムスの予言を特集していた(再放送)。まるで興味が無いのだけれど、当時バカバカしくも爆発的に取沙汰されることになった、仕掛け人の出版社の事情を明かされていた。まさに「売らんかな」という出版社の思惑を超えて売れてしまったとのこと。当時も今もナンセンスそのものの予言に大騒ぎしたバカどもを軽蔑するだけのことで、同調しやすい日本人の(?)性癖には同調できないネ。

ノストラダムスの予言など根も葉もないデタラメだということが分からない「愚民」たちこそ、大正末ごろにデマ報道に乗って大震災時に朝鮮人虐殺に奔(はし)ったわけだから怖いネ、ホント。簡単に信じ込んでしまう軽率さが自らに刷り込まれていると自覚し・反省していないと、根拠のない予言やウソに振り回されて殺人まで犯しかねないから、ふだんから注意を怠らないようにしないとネ。

 

相変らず前振りが長くなったけど、ここからが本題。元号にまつわるバカ騒ぎを苦々しい思いで見ていたヨ。メディアは習性として昔ながらの下らぬ特ダネ競争で騒いでいたけれど、新元号が何になるか「予言」し合う風潮は実にバカバカしかったネ。そんなもん中(あ)てて何になるの? 

競馬の穴馬券を命中させた方が生産的だヨ、ナッ、ユウ君。

発表されれば発表されたで出典について大騒ぎ、安倍晋三の意向を「忖度」して万葉集から採って歓迎されたとはいえ、実は元ネタを遡ればやはり漢籍だったというアホな結果。上野誠という万葉の専門家が、わざわざ朝日新聞に「寄稿」してヨイショしていたけれど、面白みのない見解だったナ。それより東大の中国文学科の先生が、漢籍の出典を例示しながら「令和」が含んでいる矛盾を指摘していたのは説得的だったネ(新聞を探すのが面倒なので記憶で記した)。

今日(16日)になったら『万葉集の発明』で有名になった品田悦一氏の記事が載っていて、明治以降「万葉集」が国民意識の形成に利用された面を強調しつつ、安倍晋三が思い込んだような防人や農民までの歌が収められているわけではないとも付している。

(品田氏が聖心女子大にいた頃、ボクが非常勤で大学院の講師として数年通ったのだけれど、実は前橋高校の後輩でやたらと同窓会に誘う点だけは困った人だった。)

 

いろいろ批判がある中で、「令和」案を出したのは自分じゃないと否定しながら、万葉学者の中西進がむやみと露出していたのも笑えた。中西進と言えば、梅崎春生ファンからすると最高傑作「幻化」に登場する、妻を捨てて若い女と引っ付いた男(羨ましい!)のモデルとして記憶されているのだナ。

というのはボケ進行による勘違いであり、西郷信綱だと分かったから正しくは「西郷信綱より梅崎春生」と題さなければならなかったわけだネ。西郷信綱も昔「万葉集」について品田説の原型のようなことを論じていたそうだけど、梅崎春生の同級生に万葉学者がいたとはネ。

何が言いたかったかというと、中西進など読むより品田悦一を読むべきだし(上記の著書が再刊されるとのことだし)、「万葉集」もイイけど梅崎春生(特に「幻化」や「桜島」)を読んで欲しいということだネ(講談社文芸文庫に収録されているヨ)。

 

中西進といえば、昔『文学・語学』に近代文学の研究状況を書いたのだけど、例によってエゲツナク(?)書いたものだから中西編集長からクレームがついたのだナ。編集委員だった指サックさんが「オレはこれでもイイと言ったンだけど」といつもの太っ腹なところを明かしてくれたのだけど、頼り甲斐のある先輩の立場を考慮してキツク書き過ぎた箇所を書き直したのだネ。