プラスチックがヒトを殺す

買い物に行く際には必ず袋(プラスチック)を持参するが、豆腐を見ると時々「昔は鍋かボールを持って豆腐を買いに行ったのにナ」と思い出すことがある。1個ずつ使い捨てのプラスチックで包装されているのを見ると、ヒドイ時代になってしまったもンだと心が痛む。今さら昔に戻れないから、一段と取り返しのつかない思いが痛いネ。

買い物袋を有料にする動きが出て来たけど、その後あまり展開されていないのは残念。行きつけのスーパーでは無料で出そうとするのもあるから、持参の袋を見せて断っている。

なぜこんな話をするかというと、昨夜たまたまNHKBS1で「脱プラスチックへの挑戦」という番組を見たからなンだネ。ニュースでアメリカ大陸近辺で数千トン(?)のプラスチックが流れ着く所があるのを知ってビックリしたことがあるけど、番組ではこれらのプラスチックゴミを処理する動きが少年の問題提起を機に広がっていると知って嬉しかったネ。莫大なカンパやたくさんの知的協力者も結集しているとのこと。

船団を組織して北太平洋を横一列に併走してプラスチックゴミを収集したら、(大きめの袋をたくさん呑みこんで死んだクジラやウミガメの胃から発見されることばかり注目されるが)マイクロプラスチックと呼ばれる経年の小粒のものが小魚→大魚→人間という経路で、有害物質がヒトの体内に蓄積されていると言う。

海を漂っているだけでプラスチックは海水や紫外線(?)で有害物質を発生させているそうで、何とも救いようがない話だけどれど、北太平洋に流れ着くゴミの8割方が日本のものだというのだから言葉を失うヨ。

今さらプラスチック無しの生活は考えにくいから、各自が減らす努力をしなければならないだろう。先進国では数年後には使い捨てのプラスチック(ハンバーガー・ショップの類)をサービスすることを禁じる法律もできているそうだけれど、その分だけ値段が上がっても許容しなくてはいけないネ。日本でも早くその方向を実現してもらいたいヨ。

老い先短いボク等はともかく、孫子の世代にとっては死活問題だからナ。

これから買い物に出掛けるのだけど、折り畳みの布製買い物袋を失くしてからはプラスチックの袋を利用している。また元のように布製に切り換えないとネ。

ついでに時季が遅れるウコン桜を見に、一橋大キャンパスに寄ってみるヨ。ピンクではないウコン色の桜も良いもンだヨ。