【読む】浅野智彦さんの書(続き)  大澤真幸  見田宗介  中沢新一  小林敏明  

 緊急な連絡なのに「100分で名著」以外の話題について長く書き過ぎてしまった。長くなったのでいったん止めたけれど、浅野さんの著書の「あとがき」を読んでいたら、いろいろ思い浮かんだことがある。同僚の野口裕二さんには、著書をまとめる際に一緒に議論してもらったとのこと(もう1人議論に加わった人として森田数実さんの名もあるけど、髪の毛の乏しい・好感度の高かった人かな?)。

 大学院の先輩に大澤真幸がいて、著書のみならず研究会等からも知的刺激を受け手いたというのは驚いたナ。そう言えば大澤真幸も東大の社会学だったから、そういう関係になるわけだけど、浅野さんの指導教員が見田宗介だというのも当然ながら、見田宗介という懐かしい名前に微笑したネ。見田さんは助手の頃から名前が知られていた優れ者だったし、研究のみならず真木悠介ペンネームでエッセイ集も出していて、参考文献に上げられている『気流の鳴る音』というちくま文庫には感銘を覚え、桐原書店の教材案として提案したこともある。編集委員(教員)からは支持されたものの、編集部が死体が描かれているのを理由に審査委員に忖度して反対したので載らなかった(文庫はその後ハマちゃんに上げた)。

 東大教養学部社会学と言えば、オルテガがらみで名前を出した西部邁がむかし欠員を中沢新一を呼んで埋めようとしたものの、反対されたので中沢さん共々テレビで不条理な人事だと訴えていたことがあった。この人事には見田さん(の師匠?)がからんでいたのではないか、と勝手に推察している。

 「あとがき」に《社会学的自己論(例えばミードやゴフマン)を学びはじめてたとき、》とあるが、ミードは院生の頃だったか小林敏明さんがその紹介を『思想』(?)に載せた文章をもらって読んだ記憶がある。ビンメイさんも懐かしい人なので、つい思い出してしまった。これを読んだマロ(中丸宣明・法大教授)が「面白かったけど、難しいのでもう一度読んでみる」と言っていたのを忘れない。

 ビンメイさん(とエロシ)と呑んだ時、「関谷さんは安田講堂の闘いで催涙弾を顔面に直撃され、顔をメチャクチャにされたと聞いたけど」と言われてビックリしたのを思い出した。ボクはその日は御茶ノ水カルチェラタン闘争に加わっていたので、安田講堂にいたはずがないのだから、そんなウワサが出回っているのに驚いたし笑えたネ。

 それにしても、世の中いろいろつながっているのだネ。