【読む】橋田寿賀子  宇佐美毅  山折哲雄  安楽死  

 今日(28日)の朝日新聞の「耕論」のテーマは「橋田さんが遺したもの」で、橋田寿賀子のドラマについて3人の識者が論じている。ボクはテレビ・ドラマは興味のある大河の時しか見ないから、橋田ドラマについてはまったく知らない。橋部敦子という脚本家の言うところをボクなりに言い換えれば、向田邦子が純文学だとすれば橋田は大衆文学といったところかな。向田作品については、同時代では見なかった「阿修羅のごとく」という作品の再放送を見て、あまりに良くできているので驚いてブログに記したことがある。

 宇佐美毅さんが「おしん」と「渡る世間は鬼ばかり」は、それぞれ昭和と平成という時代をよく現していると論じている。ドラマを見ていなくても趣旨が伝わってくる分析だけど、宇佐美さんは学大卒から東大大学院の博士課程を修了した研究者である、ということは知っておいてもらいたいネ。山田有策先生の薫陶の下で明治文学(20・30年代)研究にいそしんだ成果を『小説表現としての近代〉』(おうふう、2004年)という大著にまとめている。千田洋幸先生と一緒に『村上春樹と一九八〇年代(以下、九〇年代・二十世紀と続く)』(おうふう)の3冊を編著している人、と言えば分かるかもしれない。

 一方で『テレビドラマを学問する』という著書もあり、フジテレビの番組評論のコメンテーターとして出ているのを見かけたこともあるくらいのドラマ好きのようだ。ドラマに関心が無いボクにも贈っていただいたけれど、猫に小判のままだネ。宇佐美さんとくればドラマでもハルキでもなく、やはり《明治文学》の研究者のイメージが強烈だネ、こちらが無知な分野のせいもあるかもしれないけど。

 

 ついでながら、もう1人の論者は山折哲雄という哲学者だけど、ドラマ分析ではなく安楽死つながりで橋田との共感を語っている。「安楽死で逝きたい」という文章を読んで「同志」のように思い、自分が死にそうになった時に延命治療と食事を断って自然死を望んだものの、現代医療の恩恵で死にそこなってしまったと言う。現在の微妙な心境をそのまま吐露しているけれど、とても興味を引かれるネ。