川端康成「禽獣」論  新城郁夫

「禽獣」は正真正銘の傑作だと思うけど、素晴らしい論文もいくつかある。
先般の授業で「禽獣」を取り上げた時には見つからずに読めなかったのだけれど、数日前に別の本を探していたら発見したのでサーッと目を通したら、やはりスゴイ。
『立教日本文学』第69号に3本の「禽獣」論が掲載されているのがそれで、新城郁夫・石川巧渡邉正彦玉川大学の人)の3人の若き日の成果である。
石川さんはむやみと守備範囲を広げて何でも論じてしまう勢いに圧倒されるし、新城さんは故郷の琉球大学に就職したせいもあって沖縄文学研究がメインになっているけれど、お2人とも院生の頃は川端研究に勤しんでいたことは知られてないかも。
ともあれこれらは他の追随を許さないレベルの「禽獣」論なので、あえてここに記して一読をおススメしておきたい。
新城クンはその頃、立教大院でボクの授業に参加していたので、修士論文の一部も借りて拝読したのだけれど、ボク等の院生時代の論文のレベルを超えた大人っぽい書き方で驚きだった。
その後は井伏鱒二の作品論も発表していたけれど、ボクには論じようがない作品も実に興味深く論文化していて脱帽だったナ。

勝手に個人的な所感を付しておけば、新城氏が行きがかり上で沖縄に関わらざるをえないのは分かるのだけれど、川端や井伏を論じたものの水準の高さを思うと、琉球大学赴任した頃から後者の論が書かれなくなったのは何とも残念で仕方ない。
あえて不遜な言い方をさせてもらうが、沖縄に関わるものは他の人でも代替可能だと思うので、新城郁夫にしかできないアプローチの仕方で川端や井伏を論じてもらいたいものだ。
アンドレ・ジッドが何かで書いていたけれど、自分が政治的なことに没頭しているのは文学の才能が枯渇したための代償行為なのか、という自省と新城氏の立ち位置は全然異なるので、己の内に文学的感性が息づいている間に、嫌がらずに文学を論じてもらいたいと願っている。
ルー小森のように、ジッドの自省の方向を地で行っている枯れ切った元文学研究者は無視しておけば済むけど、現役の文学研究者である新城氏が文学を沖縄に限っているのは惜しまれてならない。