【見る】子規(と晶子)  高橋源一郎(小説家)の限界  与謝野晶子  池田理代子もバカ  

 いまBSプレミアムで3日連続の文学者シリーズを見ながらブログで情報を流そうとしているのだけど、今日は正岡子規と病気の彼を支えた友人たちを再現している。もちろん漱石が最初で最大の友人だったのだけど、子規に導かれた漱石の俳句に子規の有名な句にパクられたものがあったとは知らんかったネ。

 《鐘つくや 銀杏散るなり 建長寺》⇒《柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 まんまじゃないか! 坪内稔典の発見だそうだけど、発見が遅すぎだよネ。

 ちなみに生涯に10句も創ってないボクにも、子規の句をパロッたものがある。

 《牡蠣食えば カネが減るなり 瑞巌寺  一茶ん(いっちゃん)》

 仙台に行って牡蠣を食べたら中(あた)って食中毒になった時の句。牡蠣を高価なフルコースで食べたのだけど、生ガキが中ったのだろネ。瑞巌寺は伊達正宗が創建した(?)仙台市内の寺だネ。

 解説の高橋源一郎が「日本文学盛衰史」に子規を登場させなかったのを悔いているけど、やっぱり小説家なンだネ。詩歌が視野から抜けているのは作家の限界と言うほかない。文学研究者でも小説や評論は論じることができるけど、詩歌が脱落していることが多い、と安藤宏の大著『近代小説の機構』を評した時にブログに記したと思う。大学院の後輩の中では勝原晴希だけは詩歌も小説も論じる能力があるのだけれど、5回以上自著の出版を勧めたものの(最初の頃はハイと言いながらも)1冊も出してない。フラチな奴だ!

 後半は与謝野晶子だけど、ボクは関心が無いネ。ゲストは池田理代子だったけど、里中満智子ともどもヒットした女性マンガ家はそろってバカだネ。

 以前知った晶子の印象は、平塚らいてう等の観念性には囚われていない現実主義的な考え方ができる人、というものだネ。その点について源一郎も同じようなことを言ってたネ。

 

@ 今夜0時からは先日おススメした女性芥川賞候補作の作家を特集した番組があるのだけれど、プレミアムの特集が終ったので詳しいことは省く。これからショーヘイが出場する試合を見ながら本を読むのでネ(野球は読書と両立するのが取りえだネ)。もちろんショーヘイの出番では本を置く。それにしても今年もショーヘイにMVPを取らせたがる人が多いけど、今年はジャッジでイイじゃない。ひいきだからと言って欲張るのは嫌いだネ。