『叙説』  吉田恵里  宮川健郎  石川巧  〈群衆〉

受贈雑誌まで言及したので、『叙説Ⅲ』12の「児童文学と「声」」特集(2015・2)も紹介しておきたい。

バック・ナンバーだけど、エリちゃん(吉田恵里)と石川巧さんの素晴らしい論が収録されているのでおススメしておきたい。

元来『叙説』は亡きシュンテン(花田俊典)が主催して出し続けた同人誌だと思うけど、それが未だに続いているのが嬉しくてたまらない、シュンテンも喜んでいるに違いない。

去年の12月だったかの昭和文学会でエリちゃんに会ったら、谷川俊太郎論を送ると言ってくれた現物。

俊太郎も授業でよく取り上げた詩人だけど、自分じゃ論じる力量がないから知人の論考は読みたくなるものだ。

でも贈ってもらって読んで感じたのは、我々シロウトとは詩歌の専門家の論とは大きな隔たりがあること。

エリちゃんの論も寺山修司の説に乗ったもので、ボク等シロウトを残して専門的な方向に進んで行ってしまうので、取り残されたボクには何ともコメントのしようもない(そもそも寺山の論に納得できないのだから仕方ない)。

ただ勉強にはなった、と言うのみ。

 

同じ特集号に信頼する児童文学研究者の宮川健郎さんの論文も載っているので、後で拝読したい。

学大に勤務していたので、研究室にも卒論で児童文学を取り上げる学生もいたから、専門外ながら児童文学研究に付き合わされたものだ。

学生とのやり取りから、この分野では宮川さんが一番信頼できるという感触を得ていたものだ。

 

この号には、特集以外にも石川巧さんの「群衆とは何者か?」という論が掲載されている。

副題が「歴史小説における〈一揆〉の表象」なので歴史好きな身なので覗いてみたら、むやみに面白い。

石川さんなら「群衆」の形象として横光利一「上海」あたりから論じまくるものと思っていたら、取り上げられるのは戦後の作家・作品ばかりでボクの聞いたこともないものが多いので驚いた、というより己の無知に呆れるばかり。

さすがに大著『高度経済成長期の文学』(ひつじ書房)や『月刊読売』「解説」(三人社)などの著者だけあって、とんでもないスケールの胃袋の消化力で何でもこなしている人だけあるナ、スゴイ!

表題の「群衆」についても大いに刺戟を受けたけど、ディッケンズ「二都物語」などを思い出しながら追求してみたい問題もあるので、機会を改めたい。