【読む】古川日出男の文芸時評は読める

 古川日出男という名前は見た記憶がある程度で、読んだことはなかった。それがいきなり朝日新聞文芸時評を担当することになったので驚いた。高校生の頃には江藤淳文芸時評に教えられ・感心させられていたものだけれど、同級生の五十嵐昇クンが毎日新聞平野謙文芸時評を読んでいて、お互い交換して読んだ気もする。平野謙に比べるといつも江藤淳の方が切れ味も文章も良かったと記憶するけれど、小島信夫抱擁家族」の評価では完全に平野が読み誤って限界を露わにし、時代と時評子の交代を強烈に示したと感じたネ。

 その後の朝日の時評は凹凸をくり返したけれど、個人的には石川淳小森陽一(ほぼ蓮実重彦も?)が低調でつまらなかったという印象が強く、それに反して島田雅彦は飛びぬけて鋭く面白かったナ。以前にも記したと思うけど、現代文学は活躍中の作家でなくては理解・批評できるシロモノではなくなったという印象が強烈だったネ。でも最近の小野正嗣さん(芥川賞作家だと思う)は海外文学を取り上げることが多く、日本のものについては切れ味もイマイチだったネ、人は良いのだけれどネ。小野さんに続いた鴻巣友季子さんはただの翻訳家だと思っていたのに、想定以上に面白かったかな。

 

 蓮実重彦のみならず柄谷行人も含めて、文学論ができても文芸時評もできるとは限らない。小林秀雄江藤淳などが両方できたのは稀な例と言うべきなンだろネ。古川さんの文学論は知らないけれど、今回(9月29日)の時評は画期的なかつて劇作でデビューした岡田利規のレーゼドラマらしき作品を取り上げつつ、「〇〇するフリをする」というト書きに注目してその可能性と深さを説いている。「フリをする」の射程内にフランス現代文学の作品を置いて展開する手際は、危ういながらも考えさせて面白い。

 続いて村田喜代子(まだガンバっているのだネ)の新作を紹介しつつ、「フリをする」射程内にまとめている。さらに上田岳弘(知らない作家)の新作が「ノルウェイの森」を下敷きにしていると読んでいるのだけれど、作品を読んでないボクには当然伝わってこないから村上ファンは自分で確かめてもらうほかない。ここでも《演技者がさらに演技をする様相が看取され》=「フリをする」という射程に収めて終らせている手際は、いかにも時評子らしい。並みの頭脳の持ち主じゃなさそうだ。

 『シドクⅡ』は想定した読者(例えば伊集院光)の割にはレベルが高すぎて伝わらないという失敗を犯したけれど、未知ながら古川日出男さんの読解力があれば十分伝わるだろネ。こういう人にぜひ現代文学だけでなく、『シドクⅡ』で論じた檀一雄(等)を論じて再評価の契機を作ってもらいたいものだネ。「火宅の人」も十分《読み》に値するとテクスト分析して見せたものの、ボクくらいの存在が評価しても効果ないようだからネ。