【状況への失言】警察と検察はいつも冤罪作って自己保身  「獄友たちの日々」

 9月30日の夜11時から1時間、Eテレで2017年の番組「獄友(ごくとも)たちの日々」の再放送をやっていたので、つい最後まで見てしまった。「獄」は監獄のことで無実の罪で刑務所まで放り込まれた人たちが、「獄」内でお互い「友」として結ばれた同士が無罪放免になった後も(再審がなされていない1人も含む)時々会って一緒に楽しんでいる姿には癒される。それにしても次ぎ次ぎと冤罪をデッチ上げ20~30年間も刑務所に放り込む警察・検察の悪辣さには腹が立つ! 真犯人を見出し逮捕することができないと、メンツを保つために冤罪で「犯人」を作り上げて逮捕するというくり返し。冤罪が明かされたらデッチ上げた当事者の名を公表しつつ裁判にかけるようにしないと、この手の警察・検察の悪事は止まないだろネ。殺人事件とも言える森友事件の張本人、佐川元財務局長が逮捕もされぬままのさばっているのと同然となるからネ。

 桜井昌司という人が取材の中心で、この人が以前29年間収監されていた刑務所に(一般公開日に?)訪れる場面が面白い。久しぶりに会った刑務官に挨拶するのだけれど、ほとんどの刑務官(教官)に心底から「その節はお世話になりました!」と言う表情が晴れ晴れしい。小林多喜二はじめ警察官に殺されたのは留置場であり、刑務所ではないから混同してはいけない、刑務官は概して殺意も無ければ害意も無い。ただ桜井さんが会いたくてもその日は参加してなかった模様の1人の刑務官だけは、「イジメられて嫌な思いしかない」と語っていたネ。どこにでも《非対称な関係》にアグラをかいて嫌がらせ(ハラスメント)をくり返すゲス野郎がいるものだ、学校の教員もその典型的な例だけど今日の報道では四谷大塚という塾でも幼女生徒の盗撮をして逮捕されていたネ。

 

 桜井さんは収監されていた29年間、落ち込まないように前向きに考え・生きることができたお蔭で無罪を勝ち取れたとのこと。無罪放免後の底抜けとも見える明るさぶりは信じがたいけど、獄中で書いた詩に曲を付けて歌いCDを出したりコンサートまで開催しているのは驚くばかり。フランクルの「夜と霧」を思い出したネ、アウシュビッツ収容所でも落ち込む人間は早死にしがちだけれど、希望を持ち続けた人間は心身の健康を保ったまま解放されたという事例は覚えておくべきだネ。日本でも世界でも生きにくさが強いられているのが我々の現状だから、なおさらネ。