【読む】東京新聞の論壇時評  中島岳志  ボース  西部邁  オルテガ

 朝日の論壇時評は現在誰が書いていたかは記憶にないのだけど、高校時代には長洲一二が担当していたのは覚えている。大学進学して早々、夏休みに広島の原水禁大会に参加したのだけど、その頃教養学部自治会を民生(共産党系)から奪取したばかりのフロントという党派のデモに参加していたせいで、東女の自治会(フロント)の数人と広島まで同行した(当時は長時間かかる鈍行列車で途次トランプなどで時間つぶし)。東女の自治会長が長洲一二の娘さんだったので、(美女とは言えないもののシッカリした人だった)その父の論壇時評を覚えていられるのかもネ。(いま思い出したのは、朝日は以前津田大介さんだった後に女性に代ったけど名前は失念。)

 11月28日の夕刊に掲載された論壇時評が中島岳志さんだったのを見た時は、とても嬉しかったネ。ブログでも何度も賞賛・おススメしてきた人だし、彼がデビューした評伝『中村屋のボース』(未読)が大仏次郎賞(?)を獲って朝日新聞に紹介されたのがきっかけに注目するようになった。若いのに珍しく保守的な発想で真っ当な考え方を発信するので、とても期待したのだネ。そもそもインド独立運動に献身しながらも政府軍に敗れて日本に亡命し、中村屋の娘と結婚して大日本帝国に協力を期待されるほど(途中から縁を切る)インドの独立のために活躍したボースのこと(日本にカレー紹介もした)を、中島さんが日本人に想起させた功績は大きい。

 中島さんの「恩師」が西部邁だとは後で知ったけれど、西部からオルテガを教えられたのはNHKの講座だったナ。ともあれオルテガはじめ西部・中島という「真の保守」(中島さんの言葉)の存在を知った経験はボクにとって大きい。日本には右翼や反動ばかり目立っていて、なかなか「真の保守」と呼ぶべき人が見つからないからネ。

 

 極悪人の安倍晋三麻生太郎などの後に登場した岸田文雄は、一見柔和で善良なイメージで清潔な政治が期待されたけれど、実は定見なく「ブレることだけはブレない」という存在でしかないことは、首相になる以前から中島さんは分析できていたそうだ(論壇時評)。だから杉田水脈のクソがアイヌや在日に対して差別発言をくり返しても岸田が対応しないのは、《政権を延命したいための党内右派への配慮だ》(11月30日)と伊藤惇夫(政治アナリスト)が分析しているのは同感だネ。