【読む】中島岳志さんに対する違和感と共感  「スイッチ・インタビュー」(Eテレ)

 中島岳志さんの著書を推薦していたら、親しい大学教員も購入して読んでいるという記事も書いたばかりだと思う。

 ブログで中島岳志さんと歌手のUA(ウーア)の「スイッチ・インタビュー」(Eテレ)をおススメしたら、皆さんけっこう見てくれていて呑みながらその話題になった。そこでは言わなかったけど、後半の中島さんが語ったルーマニアの独裁者・チャウシェスク夫妻が「革命」によって銃殺された時の感想に違和感を持ったネ。独裁者を礼賛させるために集められた数万の大衆と一部の軍人が反逆して独裁者夫妻が逮捕され、直後に夫妻共に銃殺刑に処せられたと知って中島さんは吐き気がして2日ほど眠れなかったという。ボクとは正反対の反応だったのでビックリしたヨ。問題はズレるけど、安倍晋三が銃殺されたことについても、死すべき極悪人が死んだので「結果オーライ」だと喜んだボクと中島さんは真逆の反応だったろネ。

 

 ベルリンの壁崩壊の情景はもちろん、アメリカ軍が敗退してベトナムから逃げ出した光景を見た時の感動は、共に不可能だと諦めていた夢が実現されてしまった喜びで飛び上がりたいくらいのものだったネ。ボク等の世代はモノ心が付いた時から、ベルリンの壁を乗り越えようとした市民が東ドイツの軍人に射殺されたり、大国アメリカがいきなり北ベトナムを爆撃し始めてそのまま南北ベトナムを戦場状態に陥れたりで、ジッとしていられない状況が続いていたのだヨ。高校1年の地理の授業中に挙手して、「ベトナムがあんな状況なのにボク等はどうしたいいのか?」などと思わず質問してしまったくらいだヨ。

 そんなわけだからルーマニア国内でやりたい放題(息子は金メダル体操選手コマネチを自由にしたり)だったチャウシェスク一賊が、多数の秘密警察でも抑えようがなかった大衆蜂起によって捕えられ夫妻が射殺されたニュースを見て、ボク(たぶんボク等の世代)はアメリカ軍がベトナムから追い出された時の喜びをくり返したものだったネ。とはいえ中島さんの感受のあり方も分からないわけではないのだネ。ボク等のように《悪》が平和と自由を抑圧していた時代(ドイツなど東欧ではソ連ベトナムなどではアメリカ)を知らずに育ったため、ほぼ白紙の状態でルーマニア革命に遭遇したら独裁者がすぐに殺される運びに吐き気をもよおしても当然かもネ。実情を付しておけば、独裁者を捕えたままにしておくとそれまでの政権側に勢力を挽回されてしまう可能性があるので、時間的余裕を持たせずに処断するのが常識だろネ。イラクアルジェリアで「革命」が起きた時も、独裁者が捕えられてすぐに殺されたのも感情の問題だけじゃないのだと思う。

 ともあれ中島さんが吐き気をもよおしたのは世代の問題だけでなく、考え方がやはり保守本道だからだと思う。ボクは高校1年の時から共産党員を父親に持つ級友に教えてもらい、ソ連が日本で発行していた宣伝雑誌を買っていた時もあるものの、当時から共産党は大嫌いだったから大学に進学してすぐに反日共産党の学生組織のデモなどに参加していて、全共闘運動が始まりしだいすぐにその担い手の1人になったわけだネ。

 とはいえボクが最後まで反共産党の学生組織である「全学連」に入らなかったのは、ボクが「革命」には賛同しきれない制御意識を保持し続けているからだろネ。それが中島岳志さんに対して共感することが少なくないのだネ。(前にも記したかもしれないけど)高校生の頃だったか偶然ディッケンズ原作の「二都物語」の映画をテレビで見て以来、ずっと忘れることなく考え続けながら早くから世界文学全集に収録されたものをゲットしてあるのだネ(未読のままだけど)。

 この作品の舞台はフランス革命であり、血で血を洗うロベスピエール等のジャコバン政権のおぞましさを批判する観点が明かのように受け止めている。フランスの政治がその後政権を握ったナポレオンが帝政に転じ(ベートーベンが落胆したのは有名な話)たものの、20世紀に至るまで民主制と帝政をくり返した歴史は周知のこと。ボクは革命一筋にひた走るとジャコバンのようになってしまうことに強い危惧を抱いているので、「二都物語」の革命批判に惹かれていてそれが中島さんの「保守本道」の良識に共感できるのだネ。