【状況への失言】進歩・保守の二分法は不毛  定時制教員の頃のイチロー

 ブログの更新ができない時も、長いメールを書いている時もけっこうあるのだネ。例えば今日も以下のような返信を仲間に出したところだ。テニスの件を記している余裕がないので、これをそのままコピペして解説しようと思う。以前保守派として知られるオルテガ西部邁中島岳志佐伯啓思などをおススメしたことが一度ならずあったけど、メールの相手はその点で合致できていたので今回もその流れに沿ったやり取りだネ。ボクの昔話を期待する仲間もいるので、定時制の教員の頃のエピソードを語ったメールだから期待にも応えていると思うヨ。

 

定時制の同窓会が終わったばかりだけど、当時は高教組(都立の高校教員の組合で93%くらいの組織率を誇っていて、もちろん日教組に属していた)の組合員で、定時制の教員で昼間はヒマだから集会の動員によく通っていたものだヨ。 
でいながらも組合員なのに「日教組の方針は平均的なバカを作るだけだ!」と放言する日教組批判者だったネ。 
日教組は何でも「平等」を主張して能力別の授業を否定したり・徒競走では上位3位しか表彰しないのはダメだと言って表彰自体を否定したりしていたからネ(今もその延長かな)。 
生徒の利害を第一だと信じていたから、高教組が組織率をイイことにして定年制を否定していたので廃人教員(ボケたジジババが多かった)は早く辞めるべきだと職員会議で発言して同僚の腰を抜かせたものだヨ。 
その場はボクの発言を歓迎する立場のはずの教頭が収めたけど、デキた人なのでその後は仲人をやってもらう仲だった。 
進歩的打からといって《硬直化》したら反動になるというので批判する、という自分なりの「全共闘」のやり方を貫徹しただったけど、傍から見れば反日教組の反動的な存在に見えただろうネ。 
自分じゃ左翼だと自認していたのだから、左右も進歩・保守も外からの判断では確定できないということかな。 
西部さんはむかしNHKの連続講座(今で言う「100分で名著」みたいの)で知って感心したものだけど、保守とは思えなかったネ。 
彼は中沢新一を職場に呼ぼうとしたけど、進歩的知識人の代表みたいな見田宗介(別名・真木悠介)と大喧嘩して負けたため、結果中沢は中央大へ行ったのだったかな。(この問題はあまり左右のテーマに絡まなかったかも。) 
左右どちらでも《硬直化》したらダメだという例を出そうとしたけど、見田さんはそんなに硬直化しているわけじゃないからネ。 
 
佐伯啓思が西部さんの弟子というのは初めて知ったけど、左の朝日新聞が右寄りと言われている佐伯さんに定期的に時代批判を書かせるようになった時は、朝日エライ! と思ったネ。 
佐伯記事はいつも楽しみにしてるヨ。 
 
酒友達だと思って誘ったのに断られると絶望するという西部さんの気持は分かるけど、西部を断る友人の気持も分かる気がするネ。 
あの調子でまくし立てられたら酒が不味くなるだろうからネ。 
ボクは断られたことはないけど、自分の生活のペースを無視して誘われたら断ってきたネ。 
退職したせいか、一緒に呑みたいと思わないヤツと飲む機会がなくなったのでその後は楽しい酒席ばかりだヨ。 
ジンセイのゴールも見えてきたせいもあってか、お蔭さまで楽しさが倍増している感じだヨ。 
 
【ブログのための解説】
 ボクが7年間勤務した上野忍岡高校定時制では3名の定年(60歳)以上の教員がいて、その1人はまだ働ける人だったけど(弱者に優しく共産党支持者で支持政党は異なるも敬愛していた)釣り仲間の教頭から説得されて辞職した。残りの2名は札付きの「廃人」で、1人はモウロク婆(奈良女子大卒が自慢だった)で当直の時にたった1人で校舎を見回っている時に力尽き階段で寝込んでしまい、後から見回った警備員がお化けが出たと勘違いしたそうだヨ。
もう1人は名前のリカルドが示す通りのアメリカ人の血が入っているジジイで最悪の存在だった。日本語が十分理解できてないこともあり、生徒が一番被害を受けていたクソ野郎。
ボクが批判したら、教頭に「セキヤは共産党員であり、党の細胞として東大に通っている」と告げ口をしたというのだから笑わせる。
教頭も笑いをこらえながら教えたくれたけど、当時ボクは大学院にも籍を置いていたので(校長と教頭が大学院に通いながらでもイイから定時制に来てくれと言われたので)東大に週1か2のペースで通っていたのだネ。
本郷の三好行雄師と駒場越智治雄師の2つの授業は励みになっていたヨ。
それにしても学部・大学院を通して14年間学生証を持っていたのは恥ずかしかったネ。