【読む】関谷由美子『少女たちの〈居場所〉——資本の他者として』がスゴイ!

 「関谷」といっても吾が親族ではない、近代文学研究とは無縁な人が勘違いしないように先に記しておくヨ。お名前は知っていてもナマの由美子さんに会えたのはだいぶ経ってからだネ、山田先生が一緒だったから学大に赴任してからのようだナ。低能・麻生太郎の逆で行けば想定外の美形だったので驚いたくらい(逆を行っても非難されるようだけど)。ご主人の漱石研究者は知っていたけど、由美子さんからだいぶ後になって漱石論を贈っていただいたのが、

 『〈磁場〉の漱石——時計はいつも狂っている』(翰林書房、2013年)

で表題が表すように他の漱石論とは一線を画したオリジナルな論考。だからつい最近まで仕事机のある部屋の書棚に並んでいたものだ(漱石論はほとんどがロフトに仕舞ったまま)。さすが「関谷」一族だけあってレベルの高い研究者だネ(笑)。

 

 それが近著は『少女たちの〈居場所〉~』(鳥影社、2023・12)という表題で仮名垣魯文・紅葉・藤村・田村俊子漱石・秋声・林芙美子というのが主要なラインアップで、「少女」がテーマだと言われるとボクの手に余るナというのが正直な第一印象。さらに小説論だけが偏重される(というより小説論しかできない)研究界にあって演劇論もそろっていて、ボクの好きな三好十郎やつかこうへいに井上ひさしまで論じてしまう守備範囲の広さ、さらに全15章の他に「補遺」としてドラマ「冬のソナタ」まで論じる柔軟さまで具えているのだから「参りました!」と言うほかない。

 恥をさらせば第九章の高群逸枝は名前は知っていたけど、第四章の北田薄氷などは名前も聞いたことがなかったネ。第一章の魯文「高橋阿伝夜叉譚」の作品は未読ながら数種類の論は知っていたものの、「序にかえて」で《同時代の旧弊な悪女ものとは一線を画す、理想の女性像を作り上げている。(略)魯文が阿伝というこの新しい女性像を、明治開花期の祝祭空間のクイーンとして語ったことの意味を考察している。》などと言われると、まさかの論じ方に圧倒される思いだったネ。

 実はこの「序にかえて」は、テーマが「少女」というボクには高いハードルからして取っ付きにくくて読むのに苦労し、3度目のチャレンジでやっと読み通すことができたほどだ。通読できた時に改めて本書のスゴさを実感でき、まだ早いけど今年一番の研究書かもしれない(やまなし文学賞の第一候補)とまで考えたネ。もちろん各論を読んでその内実を検証しなければならないのだけど、ボクの守備範囲や趣味からして(例えば藤村嫌い)すぐに読もうという気にはなれない。

 『シドクⅡ』の「近代能楽集」(三島由紀夫)論でコク(告白)ったように若い頃につかこうへいや野田秀樹のオッカケだったボクでも、論じられている「飛龍伝」は(舞台を観て?)ツマラナイ印象しか残っていない。でも由美子さんの論はきっと面白いのだろナ(三好十郎の全集は持っているけど、論じられている長い名前の作品は入ってるのかな?)。

 こんなに充実している著書なのに定価が3200円(+税)というのも驚きの安さだネ(500ページ近いのに)。それにしても鳥影社というのはフシギな出版社だネ。昔から注目している小池昌代があれば『笙野頼子発禁小説集』というのもありながら、小川国生論とか中上健次論も出している。フシギの極みはふた昔も前の指揮者であるジョージ・セルオットー・クレンペラーについての伝記もあるので、誰が買って読むのかイメージしにくい。昔セル指揮クリーブランド管弦楽団の演奏によるシューマンの第1・3交響曲のレコードを期待して買ったものの、3番の「ライン」がドブ川が詰まったような演奏だったのですぐに従弟に上げてしまったのを忘れない。

 ただし、由美子さんの本書が爆売れしてもフシギではない!