【見る】全共闘運動に毛沢東主義の影響は小さかった  「新・映像の世紀」  「東大解体」

 一昨日いつもの「新・映像の世紀」を見ていたら、強い違和感を抱いたヨ。毛沢東の生涯をたどりながらその影響もたどっていたけど、「違うナ」とか「ホントか?」という思いがくり返されたネ。特に全共闘運動が盛り上がっていた頃に東大本郷の正門の柱にあった「造反有理・東大解体」という落書を流しながら、いかにも東大でも毛沢東主義が広く支持されているように取れる解説を加えていたのは明らかに間違いだと思ったネ。誤解されたままで広がるのは誤った歴史が定着してしまうし、個人的にも不愉快でもあるのでここでハッキリ否定しておきたい。ボクは権力を握った以後の毛沢東は大嫌いだし・毛沢東主義も認めたことはないネ。

 実態を記しておけば、本郷のことはよく把握してないもののML派(モウリン派=毛沢東林彪派ではなくマルクス・レーニン主義派を自認していたネ)が10学部の中の1学部を掌握するどころか、1クラスをも握ったとは聞いた覚えがない。駒場教養学部)でも1部存在感のある連中はいたけど(クラスの集まりなのか不明だけど、ML派特有の赤地に白の頭頂部のモヒカン・ヘルメットの代りに駒場カラーの青地のモヒカンをかぶっていた連中で代表の男はよく知っていた)、動員力も10名もいなかったと思う(ボクのクラスはノンセクト無党派)なのにゲバルト動員すれば15名は集まったヨ)。明るい性格だった彼の名前は忘れたけど、ボクのことを集団名の「けじらみ」と呼ぶくらい親しかったヨ。

 本郷の中心は安田講堂だったけど、駒場では第八本館をバリケード封鎖をして本丸にしていたヨ。動員力が大きいので代表のボクは駒場の代表者会議にはいつも出席していて、発言力も十分あったヨ。本丸・八本の代表はブログにも何度か記した尊敬し続けている最首悟(さいしゅ・さとる)さんだったけど、ボク等の部屋はその隣りをもらっていたので最首さんとはひとしおの顔見しりだったヨ。

 

 話を戻すと、東大のML派の代表は大須賀という気の良い男だったけど、内ゲバで建物から落とされて半身不随になったということを聞いた時は腹が立ったネ。内ゲバの対象となるくらいにはML派の存在感はあったということか。八本で裸足で全体がうす汚れた男を見かけ、特に裸足には驚いていたら「あいつ等(ML派らしい)は思想性があるからナ」とからかい半分に言っていたヤツがいて苦笑したヨ。当時はヒッピーが裸足で歩いていたものだけれど(アメリカ映画でも見かけたネ)、それと比べるまでもなく中国の貧しい大衆が裸足なのに合わせたMLの学生もいたということだネ。

 「東大解体」は彼らの主張の1ツだったらしいものの、全共闘全体としてはそんなセコイところに滞ってはいなかったネ。というより特定の目的・目標など眼中になく、将来のことなど何も考えずにただただバリケード内外の楽しさを味わっていた、というのがボク等ノンセクトの実態だったネ。