【読む】松岡和子(シェークスピア翻訳家)  小田島雄志  ディレーニー「蜜の味」  柄谷行人夫人(?)  ゲバルト・ローザ  

 朝日新聞が15回ほど連載する「語る――人生の贈りもの」が最近ツマラナイ。まさかの井上公造の後が演歌歌手の天童よしみだったので、ほぼ1ケ月読んでなかった。まさかというのは、前にも記したけど井上のようにスキャンダルを追う週刊誌記者は、人間としてサイテーの人種だと思っていたのでネ。朝日もいろんな読者がいるから井上や天童を取りあげるのも分かるけど、ボクの趣味にはまったく合わないので購買料を損した感じだったヨ。でもその次は松岡和子さんになったので大歓迎だネ、松岡さんの翻訳でシェークスピアを読んだことないけどサ。最近舞台では松岡訳で上演することが多いので、録画してある中には松岡訳が多いのかもしれないけどネ。ボク(の世代?)はシェークスピアなら小田島雄志さんの翻訳だと決まっていたから、松岡さんの訳が流通し始めた時にはその必要性を感じられなかったのだナ。

 ボクが大学に入った頃は(68年入学)小田島雄志シェークスピアのテクストの多義性を生かした訳本を連発していたので、坪内逍遥福田恒存などのシェークスピア翻訳の歴史に続くものとして、当分の間は小田島センセイの訳が使われるものとばかり思っていたヨ。センセイと言うのは教養部の頃の英語の授業で小田島センセイにディレーニーの「蜜の味」を読まされたからだけど、映画化されたこの作品の訳本を出していたからだろネ。それなりにとても面白い作品であり・見事な翻訳だったけど、あの時のテキストがにシェークスピアだったらナァ~! と残念だヨ。

 

 松岡さんの「語る」の第6回に、舞台に関わるきっかけが福田恒存などが主催していた劇団雲の研究生に応募したことだったそうだけど、一緒に受けたのが柄谷真佐子さん(たぶん柄谷行人の夫人)でこの柄谷さんは既に「蜜の味」を訳して文学座に提供していたとのこと。笑えたのは第8回で、東女から東大大学院に進学して東大闘争に遭遇し、《ゲバルト・ローザと呼ばれた女子学生も見ました。》というところ。ゲバルト・ローザは東大全共闘の名物で、名前はドイツの革命家ローザ・ルクセンブルクに由来しているものの、見た目は若いオッカサンでゲバルト(暴力)などできそうにない気の優しい感じの女性だった。駒場教養学部)の大学院生だったようで、入学したてのボク等からすれば全共闘の集会などで必ず見かける名物だったので懐かしいかぎり。 

 松岡和子さんは1942年生まれだそうだから、49年生まれのボク等より7歳前後上の世代だから山田有策先生と同じだネ。当時山田先生は本郷(専門課程)の大学院生の全共闘だったから、まったく面識は無かったヨ。後で感心したのは、大学院生でいながらも全共闘運動に関わったりしたら、指導教員から就職の推薦をしてもらえなくなるのがフツーだろうに、それでも教員を中心とする当局と闘ったのだからスゴイ! ということだったネ。でも指導教員の三好行雄師は「過去を水に流して」山田先生を東女に就職させたというのだから、三好先生もエラかったネ。

 ボク等学部1・2年生は、将来のことなどまったく考えずに目先の闘争に生きていて、進級試験など受けられるものか! とクラスの全共闘仲間10人で試験拒否したら、翌年入学試験が中止になったお蔭で留年したら2年下のクラスに組み込まれてしまったヨ。68年入学生なのに70年入学生になったので、駒場(教養部)に4年もいることになってしまった。人の倍も教養部にいたのに、人よりも教養が無いとよく言われることとなったけど、授業も試験もイイカゲンに受けていたから仕方ない。教養なんかどうでも、専門性で勝負するゾ! と考えていたからネ。結果はもちろんオーライさ。