立大・博論発表会(2)  渡部裕太  

 そんなわけで申し訳ないながら5分ほど遅れて会場に入ったら、ユウタ君が主査の石川巧さんと副査の金子明雄さん、外部審査員の佐藤泉さん3人の前で論文要旨を説明していた。学界のトップ・グループのお三方を前に、ユウタ君は堂々と(図々しくも?)発表していたのは大したもンだったネ。

 論文題目は「焼跡文学論ーー語りえない〈空白〉を語ること」であり、 配布された資料によれば以下のような3部構成になっている。

 第一部は梅崎春生の作品論4本

 第二部は平林たい子武田泰淳織田作之助の作品を1つずつ 

 第三部は焼跡を舞台にした(?)教材から今西祐行井上ひさし太宰治の作品をそれぞれ1つずつ

 ボクが読んでいたのは、梅崎の「蜆」と「飢えの季節」の2本だけと、平林たい子の学会発表を聴いただけなので、博論全体が十分に理解できていないのは已むをえないながら、優れた審査員の的確な質問に応じたユウタ君の補足説明でかなり理解が進んだ気になれた。これなら後で感想をユウタ君に手紙に書けるナ、と思っていたところへ、石川主査から「あと4分余っているのでセキヤ先生いかがですか」と振られてビックリ!気持の準備ができていないままに、感じたままをストレートに述べてしまったら、石川さんからフロアからとしては前代未聞の有意義な意見とお褒めいただいたので、あながち外れた感想ではなかったようでホッとしたネ。

 

 ボクの感想の大枠は、(後から気付いた言葉で補いつつ言えば)以下のとおり。

① 論文題目の表題も副題も風呂敷の広げ過ぎで、論文の内実が量的に貧相過ぎるということ。

② しかし第一・二部の作品論の質的レベルの高さが、論文の実質となっている点が評価できるということ。

③ 第三部の国語科教育的観点は明らかに論文全体の統一を破っており、結果として論文の評価を下げている印象はマイナスだということ。

 ③から言えば、ユウタ君は《国語科教育における学びの普遍性を担保することを論じている》と記しているけれど、国語科教育などへ色目を使うなど全く必然性がない!

ユウタ君が早稲田の教育学部の出身であることも関連しているような説明もあったけれど、そんなアイデンティティ(連続性)などにこだわる必要などあるもンか! 今のユウタ君が国語科教育に対する関心と意欲を本気で保持しているのなら、文学論とは別立てにした論文集としてまとめるべきだ。でなければ、第三部に収録した論文は文学論に軸を移して展開し直すべきだ。博論としては書き直す余裕はないだろうが、1書として出版する際には書き直してもらいたい、というのがボクの率直な意見だ。

 

 

@ もちろん、まだまだ続くので、いったん切ります。