【近況・読む】卒業生の消息  北川秀人の太宰作品論  安藤宏『太宰治論』

 『シドクⅡ』の後書きに、死ぬ前の告白として他人に書いてもらった原稿2本の執筆者の名前を明かしておいたけど、太宰の方の北川秀人さんから手紙と論文2本が送られてきた。学大修士課程を修了してからの連絡だから、20年以上経っているネ。後書きが北川さんの目に触れたこともカンゲキだったけど、近作論文も同封されていたので嬉しかったネ。聞けば都留文科大学へ内地留学していた余裕に、久しぶりに研究論文を書いたとのこと。都留を選んだのは学大先輩の野中潤さんが勤務していたからと言う。野中さんと言えば、学大修士で少なからぬ横光利一研究の論文を発表していたので、内田・山田両先生に推薦して学大の授業を担当してもらった人だから、ナオさんはじめ受講した人もいることだろう。その野中さんの下で1年間研鑽を積んだ成果として太宰論を送ってくれたというわけだ。太宰論はもう書く気も・読む気も無いながら、北川さんのは別だ。皆さんにも紹介しながら、ヒグラシゼミが終ったら拝読するつもり。

富嶽百景」論(『都留文科大学国文学論考』第57号、令和3・7)

「花火」論(『解釈』(令和3・9~10合併号)

 

 太宰研究といえば、安藤宏松本和也の2人をとりわけ評価・紹介してきたけれど、松本さんが数冊の太宰研究本を出した後は昭和文学史と言うべき視野を持つ著書を刊行し続けている一方で、安藤さんがこのたび積年の研究を大著にまとめて刊行したので紹介しておきたい。東大出版会から出したもので、1200ページを超える分厚さで定価が12000円というのだから厚さも高さもスゴイ! 安藤論文はその初期から読んでいたから既読の論も少なくないだろうし、太宰に対する関心も無くなったから読む気がおきないので買う気もない。職場も無いので学生のために備えることもできない。皆さんに、職場や地元の図書館に購入(希望)してもらえれば嬉しいネ。

【ゼミ部】参考資料

 レポの西村クンから純粋詩に関わる資料が送られてきました。

 

講演に先立つ部分は、(講演も理解したとは言い難いのですが)私も理解できないところも多く、論に落とし込める気がしません……。

純粋詩については、当日配布予定の発表資料に乗せる、文学辞典の定義を予めお送りしておきます。

(poesieのeのアクサンは文字化けするので外してあります)

 

 

『フランス文学小辞典』(白水社、2007、130ページ)

ポー・ボードレールマラルメの流れを汲むヴァレリーが目標として掲げた詩の概念。ヴァレリーはその創作の努力そのものも純粋詩とみなした。1920年に友人の詩集に寄せた序文で言及され、絶対詩とも称される。その詩論は、「詩人の手帖」(1928)にまとめられた。純粋詩とは、散文で表しえるような詩的ではない要素が排除され、詩人を超越し絶え間なく感動を生み出す意味作用となる。その概念は、後にヌーヴェル・クリティックに継承される。一方、アンリ・ブレモンが1925年にアカデミー・フランセーズの公開会議で自らの純粋詩論を展開した。ヴァレリー純粋詩の詩人としながら、神父ブレモンは純粋詩形而上学的存在(神)への媒介とみなす。これにチボーデが反論し、1925年から30年にかけて純粋詩論争が起こった。

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『世界文学辞典』 (集英社、2002、747ページ)

物語・雄弁・思想など、詩以外のいっさいの要素から隔離され、純粋に詩的な要素だけからつくられた詩。このような詩観は、エドガー・アラン・ポーによって「詩以外の何物でもない詩、ひたすら詩のために書かれた詩」(『詩の原理』、1850)という表現で予言され、ボードレール以来の象徴派の詩人たちに探求されてきた。とりわけマラルメは『詩の危機』(1897)の中で、詩的状態の言語を、伝達の手段としての通常の状態の言語と峻別し、詩においては語と語の結び付きが生み出す音楽的効果から物の純粋な理念が立ちのぼってこなければならないと説いた。この見解はヴァレリーに受け継がれ、1920年、リュシヤン・ファーブルの詩集『女神を識る』のために書かれた序文の中で、〈純粋詩〉という言葉で展開され、さらに主知主義の立場から〈絶対詩〉poesie absolueという表現に置き換えられていく。それに対してアンリ・ブレモン師は、25年10月、アカデミー・フランセーズにおける『純粋詩』(1926)と題する講演で、詩にあっては、言語はあらゆる知的内容を取り除かれて、「ある種の振動を我々の内に通過させる」ためにのみ用いられなければならないと主張し、詩の音楽性や暗示的側面を主張した。ブレモンの講演は純粋詩主知主義の関わりについてチボーデの反論にあい、〈純粋詩論争〉を引き起こすことになる。ヴァレリーはこの論争には間接的にしか関わらなかったが、いずれにせよ、ヴァレリーもブレモンも純粋詩が現実には到達不可能な目標への接近の試みであることを認める点では一致している。

 

【読む】○○高校国語科の討議記録

 関谷一郎志賀直哉「和解」論について長時間にわたるゼミ形式の議論を、フニャ君が録画してくれたことは前に記しましたが、後半が録画されてなかったのを改めて完全な形で収録したものを送ってくれました。「和解」論の面白さを視覚(板書)や聴覚で理解できると期待したのですが、残念ながら討議が十分に聴き取りにくいのであまり参考にならないという印象です。

 様子を知りたいとか、将来動画でイチローを偲びたいという人のためには資料になるとは思います。(ともあれフニャ君、お手かずでした、感謝!)

 

【聴く】柳兼子はホンモノの歌手  大竹しのぶの歌はシロウト並みのヒドさ!

 オープン・リールに録音してあるのを聴いているのは、大音量のワーグナーばかりではない。ピアノ伴奏で歌曲も録音してある中に、アルト歌手・柳兼子の晩年の演奏が素晴らしい。柳兼子といっても知らない人がほとんどだろうけど、「和解」にも志賀直哉を思わせる主人公の友人・Yというイニシャルで出てくる柳宗悦の妻だった人だヨ(小説読んでもスルーされているだろうけど)。その頃の歌の録音は残ってないようだけど、晩年の録音があってボクはレコードも持っている。晩年といいながらもレコードを出すくらいだから、十分売り物になる声でありスゴイ深みのある歌唱で揺さぶられるネ。20世紀を代表するソプラノ歌手であるマリア・カラスの晩年は往生際は悪くて、とても聴けない声になっているのに日本にも歌いに来ていたのは無惨だったネ。

 柳兼子は当時のカラスよりも年をとっていたと思われるけど、キチンと聴取を感動させる歌を聴かせる力を持っていたヨ。不思議な縁だけど、大学2年目に武蔵小金井に1年間住んでいて(南に住んでいたので、当時は学大が北側にあるのを知らなかった)、駅からアパートに帰る商店街の歩道で2回素晴らしい歌声を聴いたのを忘れない。声の持ち主は小さな老婆なのに、玄人並みの歌唱で驚いたものだ。後でラジオで柳兼子を聴いて、あの声はきっと彼女だと思えたネ。信時潔の歌曲集(名前が出てこない)を歌っていた声がソックリだと思えたからネ。CDが出ていたら買って聴く価値が十分あるから、興味のある人には勧めるヨ。

 

 それに比べると大竹しのぶの歌は下手過ぎて、とても売り物にならないネ。子供の頃にギター片手に(弾いていたとも思えない)歌っていた気がするけど、晩年とはいわぬながらあのトシで歌手とも思えないブザマな声と歌唱を人前にさらすのだから、よっぽど厚かましいのだネ。演技の方は野田秀樹と結婚して見違えるほど上達したものの、歌の方は完全にシロウトのままだネ、それこそ野田伝授の演技でゴマかしている歌い方だヨ。最初に不快感を抱いたのは、ポピュラー歌手としては史上最高の女性だと思うエディット・ピアフの代表曲「愛の讃歌」を歌っていたのを見た時ネ。いかに聴いて感動したからといって、何も自分で(それも人前で)歌うとはずうずうしいにも程がある。同じことは先日再放送していた中島みゆき特集でも言えるネ。気に入った曲だからといって、自宅やカラオケ・ルームで歌うならまだしも、テレビ番組で歌ってしまうのだから己れを知らぬにも程があるというものだヨ。歌わせる方にも責任があるけれど、しのぶは自分の歌のレベルの低さを認めて今後はいっさい人前で歌わないでもらいたいものだ。テレビ局でも歌わせないようにしないと、歌番組をブチ壊すことになるからしのぶは出演禁止にすべきだネ。聴衆をバカにするにも程があるというものだ!

【聴く】ブルックナー「ロマンチック」  ファビオ・ルイージ  レスピーギのローマ三部作

 今日は早めに案内できる。

 今夜の「クラシック音楽館」はボクの大好きな作曲家であるブルックナーの、交響曲第4番「ロマンチック」をやるヨ。N響を振るのはファビオ・ルイージだから期待できるネ。ヤルヴィに代ってN響の常任指揮者になると聞いたけど、実力者が続くのでN響は安泰だネ、アシュケナージだけがクソだったナ(ピアニストとしては一流だろうけど)。ヤルヴィはマーラーは聴かせててくれたけど、ブルックナーはあまり振らなかったネ(ボクの録画帳を調べたら1・3・5番はN響のを録画してあったけど、聴き直すことが無いので印象に残らないのだネ)。

 その分ルイージは4番のみならず聴かせてくれそうなので期待できるネ。ブルックナーを聴いたことない人でも、「ロマンチック」はその名のとおりで入りやすい曲だからぜひ聴くなり録画してもらいたいネ。第1楽章の冒頭もイイけど、第3楽章がまさにロマンチックで揺さぶられるはずだヨ。大仰な音楽評論家に言わせると、中世の森の中を馬に乗った騎士たちが駆け抜けるイメージということだけど、確かにホルンの響くところなどそんな情景が思い浮かぶネ。

 ボクの録音・録画ではアバドウィーン・フィルが一番だろうけど、ビデオはデッキが故障したままなので聴けないし、朝比奈隆やスクロヴァチェフスキーがN響を振ったのもビデオなので聴けない。ディスクで聴けるのはメストがクリーブランド・フィルを振ったのが最高だネ。メストは今年のニューイヤー・コンサート(ウィーン)で振った指揮者で、ブルックナーと同じ生地じゃなかったかな)。20世紀前半の歴史に残り指揮者であるクナパーツブッシュ(ワーグナーの「ワルキューレ」をブログでも絶賛したばかり)がウィーン・フィルを振ったレコードも持っているけど、つまらない演奏だ。もう1人の大指揮者だったチェリビダッケのもむかし聴いたことがあるけど、やはりつまらなかったのでビデオ録画もすぐに消してしまったヨ。

 ブルックナーの話になると止まらないから、あと2つだけで止めるネ。1つは一番好きな第9番で、これはレコードを持っているシューリヒトとウィーン・フィルの演奏。これを超える演奏は無いと思っていたけれど、だいぶ後になってジュリーニ指揮ウィーン・フィルが匹敵するレベルだったネ。もう1つは第7番で、これはN響でも歴史的名演を残したマタチッチがチェコ・フィルを振ったものが心を揺さぶられる演奏。カラヤンベルリン・フィル(?)のは例によってムード音楽に堕していて、まるで精神性が欠落している。ブルックナーはどうしても精神性が伝わらない演奏は聴けないネ。

 「ロマンチック」は必ずしも精神性ではないので聴きやすいし、ルイージが感動させてくれることだろうネ。

 

@ 過去の演奏だけど、「ロマンチック」の後にはレスピーギのローマ三部作から「ローマの泉(噴水)」が放映されるようだ。冒頭からしてこれも名曲で「ローマの松」と共に中学生の頃に知って(トスカニーニの名演奏)病みつきになったものだ。特に「ローマの松」の4曲目の「アッピア街道の松」は、カエサルの軍隊が進んで行く情景が浮かぶような感銘を覚えるヨ。

【見る・聞く】放送大学

 昨日から放送大学の時間割が変ったネ。おススメ番組(というよりボクが見聞きする番組)を記しておくヨ。番組の入れ替えのはざ間期のせいか、昨日から固定されて毎日同じだネ。

* 都市から見るヨーロッパ(チャンネル231) 朝6~7時半の2コマ

   (去年始まったシリースだけど、知らないことばかりだからメチャ面白い。

    今日は中世だったので、学部の教養部時代に故・木邨雅文から勧められたまま放置してある、ホイジンガ「中世の秋」を読み始めたくなったヨ。世紀の名著で、翻訳が出版された時に三島由紀夫も感動した書。)

 

* 日本の近世(ラジオ) 昼12~13時半の2コマ 

* 日本政治思想史(同) 13時半~2時15分 (原武史さん)

* 日本の古代中世(チャンネル231) 5時15分~6時45分の2コマ

* 世界の中の日本外交(チャンネンル231) 夜9時45分~12時の3コマ