【観る】奥村土牛展  ぶらぶら美術展  小木博明  「美の巨人」

 今日は奥村土牛(とぎゅう)展を観てきたヨ、疲れた! 今も疲れていて眠いヨ。厚手の靴下のせいか、慣れてないテニス・シューズで行ったら(全行程徒歩50分ほど)マメができる直前くらいまで痛かったヨ。

 なぜ土牛展かというと、前回の「ぶらぶら美術館」(BS日テレ・火曜夜8時)で取り上げたこともあるけれど、実は直前に昔の土牛展の録画(やはり「ぶらぶら~」)を寝ながら観たばかりだったのだネ。最近は冷えるせいか寝ていても2時間以内に尿タイムで目が覚めてしまう。すぐにまた眠れればイイのだけど、眠れない時は(特に頭が冴えている時は)美術展などの録画を寝ながら観ることが多い。その偶然で土牛を観て感動したばかりの時に「ぶらぶら~」が取り上げてくれたのだネ。相変わらず小木博明おぎやはぎ)の無知・低能ぶりには腹が立ってジャマなのだけど(矢作のお蔭で食っていけるようなものなのに、小木の着ているものがむやみと高さそうでいながら全然似合わないのも腹立ちの元)、マリちゃんの美貌で気を鎮めながら観ている番組だヨ。

 「ぶらぶら~」に限らず、土牛はよく美術番組で取り上げられるので、代表作はほとんどデジャ・ヴュ感がある。個別の作品は以前の「美の巨人」(テレ東・土曜夜10時)で教えてもらったものが多い気がする(今の「新美の巨人」はツマラナイから見ないことが多い)。「門」と「醍醐」は確実にこの番組で見た記憶がある(「城」もかな)。(主要作品は奥村土牛を検索すれば見ることができる)満開の桜を描いた「醍醐」は今回の「ぶらぶら~」でも取り上げられていて素晴らしいと思ったけど、実物を見たら色が薄くてもの足りなかったネ。同じことは「鳴門」でも言えて、渦の力強さは伝わってくるのだけど、もえぎ色(?)が薄すぎるので青で濃い目にしたらもっと迫力が出るのじゃないかと感じたネ。

 個人的な見え方を連ねても伝わりにくいだろうけど、テレビで観たとおり(あるいはそれ以上)に素晴らしかったのは「枇杷と少女」「兎」(アンゴラ)「鯉」(42年ぶりの展示)「茶室」「犢(こうし)」などかな。「吉野」や「舞妓」は有名らしいが、テレビ画面と同様で動かされなかったネ。

 おおむね日本画は関心が薄いのに、土牛は格別心打たれるネ。もちろん多くても7~8点だけで、あとは良いとは感じられないナ。よく言われるようだけど、還暦過ぎてから上手くなっていくように、前半期はツマラナイ作品が多い。出来不出来が激しい印象の画家だネ。だから土牛展に行くなら上記の数点を観るだけで十分、他は無視してもかまわない。全部で70点くらいの出品だから会場も狭いので、ボクは3回ほど同じ作品を観て文字通り回ったヨ。観た時間も短かったと思うけどヒドク疲れたヨ、それだけ絵に迫力があるということかな。

 番組で山田吾郎が指摘していたとおり「茶室」は昔BUNKAMURA美術館で観たモンドリアンだし、姫路城を描いた「城」は(誰の影響か分からないけど)構図が複雑で破風(はふ)や屋根や壁面がステキなリズム感をなしていて、一番長時間見惚れていたヨ。両作品とも画家の「やった!」感が強烈に伝わってきたネ。

 山種美術館、1300円の入場料ながらその10倍の充実した時間を味わえたヨ。

 今月23日まで。

【近況】生シイタケの食べ方

 去年、真岡高校へ2度行って会えたトヨピンが、柚子のみならずでっかい生シイタケを送ってくれた。生シイタケと言えば、昔テレビで見た食べ方が忘れられず、20年ぶりくらいに再現して昨夜食べてみたらウメエこと! フライパンでバターと醤油で焼くだけなのだけど、酒なら何にでも合う美味さだネ。昨日は呑まない日だったので(「酒とオンナは一日おきがイイ」)、今夜はビールやジントニック(や日本酒)に合わせてみよう。

 生シイタケのバター焼き、試してごらん、ウメエぞ!

【状況への失言】「セキハラ2022」第1号

 5日に共に新年会を楽しんだジューシーから、「私もトシで潤いが薄らいだから〈ジューシー〉という愛称も変えてもらった方がいいかも」とメールが来たから、「潤い度は実際に検証しなければ確かめられないけど、ダンナに悪いから検証できないナ」と応えた。ジューシーの愛称は実名「充子」を音読みして付けたものだけど、確かに若い頃はピチピチと弾ける感じだったネ(現在の年齢は言えないけど)。

 ジューシーから「イチローの〈セキハラ2022〉の第1号です」とダメ出しされてしまったヨ。

 眉をひそめる人がいるだろうけど、ジューシーは研究室に出入りするようになった頃、「ここにいると落ち着くナ~。下ネタをフツーに言えるし。」と腹の底から洩らすような子だったのだヨ。2代目ユカチンも含めて、歴代の女子昭和ゼミ長には下ネタを楽しむツワモノが多いのだネ。どれも娘のようにカワイがっている女子だヨ。ゼミ長に限らず、下ネタをスルーするカワイイ娘も少なくないけど。

 新年会は男女3名ずつだったけど下ネタ連発で盛り上がったものだ。

 それにしても今年は「セキハラ2022」を何号まで出せるかな・・・

(眉をひそめた人のために付しておくと、下ネタを受け付けない女子の前では絶対に言わないから安心して下さい。)

【読む】荒井裕樹のコラム(朝日新聞)

 ナオさんからの情報なのだけど、実は荒井クンからの賀状に朝日に連載すると記してあったのだネ。ボクとしてはすぐにブログで紹介・推奨したつもりだったけど、やってなかったのだネ、ボケだヨ。

 朝日の「文化」欄に4人の筆者が月~木曜に連載されているコラムで欠かさず読んでいるのだけど、まさか荒井さんが担当するとは驚きだネ。さすがは朝日というところで、相性バッチリだヨ。文化人類学者でアフリカ生活が長い女性の記事が抜群に面白かったけど、これからは荒井さんのが一番楽しみだヨ。

 知らない人のために言っておくと、荒井クンは学大修士課程を出てから東大の博士課程を修了して、現在は二松学舎大准教授だヨ。近著はブログでも紹介した『まとまらない言葉を生きる』で、読みやすさもあって売れているようだヨ。荒井さんの専門はハンセン病などの非差別者や、特別支援対象の人たちの生活や文学を研究しているので、難しいものもあるからネ。その中の数冊はブログでも紹介済み、ためになるから読んでごらんヨ!

【状況への失言】最も尊敬する先生・須関正一(前橋高校)

 「はてなブログ」は時々○年前の記事だといって、ボクのブログから同月同日の記事をまとめて見せてくれる。余裕があれば自分の記事ながら読むこともあるけど、だいたいはスルーしている。今年の賀状の中に生涯で最も尊敬する先生のものもあり、印刷された案内以外の肉筆がいつもの先生のものではなく、おそらく娘さんの筆で「施設に入っているので、来年からはたぶん賀状は出せない」旨が記されていた。というわけで、先生の訓えを改めて自身と皆さんで噛みしめたい。教員のみならず、他者を《教育》する際には心しておかねばならない訓えだと思うのでネ。

 しかし文中に出てくるコウメイ君(村上孔明)は、その後若くして亡くなったという連絡を受けてビックリしながら悲しんだものだった。今年は当然ながらコウメイからの賀状が来ていない、無念きわまりない!

賀状をもらって  須関正一先生(前橋高校)  コウメイ君(宇都宮大卒)

編集

賀状に記してあった情報で一番嬉しかったのは、前橋高校(2年生)時代の担任だった須関正一先生が95歳でお元気だとのこと。
ご母堂が102歳まで生きられたとのことなので、先生はそれを超える気持でガンバルそうなので心強い(こちらが先に逝きそう)。
小中高の恩師の中で、須関先生は飛びぬけて尊敬している方で、昔のブログにも記したけどヤンチャで生意気だったイチローを、暖かい眼で見守ってくれていたのを忘れない。
卒業後も1度ならずお会いしたこともあるけど(1度は高級そうな料亭で御馳走してくれた)、いつも「関谷、丸くなるナよ!」と励ましたくれたのを思う度に胸が熱くなる。
ボクが全共闘時代を忘れずに《闘う》姿勢を通せてきたのも、先生の励ましの言葉を思い出しているからだ。
宇都宮大卒のコウメイ君が、賀状に《「弱い者の側についていれば間違いない」と言ったイチロー先生の言葉を忘れません。》と書いてくれたのは、感動したナ。
4年生になった時に、卒論の概要をイイカゲンに書いて提出したために、担任の故小池先生に目の前で破かれたコウメイ君も、卒業してからはボーっと生きている(教員)わけでもなさそうで安心できた。

それはともかく、須関先生が英語の授業中に、《私も戦争に行って兵隊を指導したけど、部下に優しくすべきか厳しくすべきか、くり返し考え・迷ったものだ。》という感想を聞いた時には、ボク(等)も考えさせられたものだ。
帝国陸軍ではイジメに近い兵隊教育をしたのは周知の通りだけど、先生に言わせればそれも一概には否定できないとのこと。
厳しく教育した隊長の部隊は死傷者が少なかったけど、隊長が優しく兵隊を気づかった部隊は明らかに死傷者をたくさん出したそうだ。
それを思うと先生も、戦争当時から兵隊に対する教育を厳しくするか、優しくするかを突き詰めて考えさせられたとのこと、深いナ〜。
もちろん現在の教育の仕方に直結させると大変なことになりかねないから、十分時代と状況を考慮の上で検討しなければならないのは当然。
高校2年生のボクには、この問題提起が深く刻まれたいたので、料亭で御馳走になった帰り道で先生に「忘れてません、難しい問題ですネ」と洩らしたら、「よく覚えてくれていたナ」ととっても喜んでくれたけど、自分の考えが期待以上に生徒(学生)に届いているのを知った時ほど嬉しいものはないものだ。
今回、コウメイ君の一言を読んで、須関先生の気持が一段と分かった気がしたヨ、コウメイに感謝!

【ゼミ部】22日の発表方針

 22日の西村クンが、ほとんどが日本文学専門の聴衆のために発表方針を寄せてくれました。発表というより講演になるので、1時間をメドに話してもらう予定です。

 

発表の内容ですが、ヴァレリーとブレモンの純粋(詩)観の相違点が中心になりそうです。
その上で
・ そもそも純粋詩(Poesie Pure)の詩(Poesie)とは何か
・ ポー→ボードレールマラルメヴァレリーの系譜とはどのようなものか
・ 純粋詩論争の大まかな流れ(年譜を用意します)
・ 詩以外の分野における「純粋」問題
 
@ 4番目の問題が、日本文学にも関わりを持ってきます。文学史的にも横光利一の「純粋小説論」が親しい「純粋」問題でしょう。

【聴く】ブラームスの交響曲第3番  レヴァインとウィーン・フィル  吉田秀和の解説  

 たまには音楽の話も記さないとネ。

 恒例のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを見ていたら(ワルツ等あまり好きじゃないので聴く気がない)、落語家の三平がゲストに出ていたので「?」と思ったら、意外とクラシック音楽に詳しいので驚いたネ。ボクの大好きな指揮者カルロス・クライバーの父親(エーリッヒ)も指揮者だったので、親子で同じ職業という点で自分と同じだと語っていたのだから、けっこう知識があるので感心したヨ。その割にはニューイヤーの最後に演奏されるのがお決まりの「ペルシャ行進曲」だと言ったのだから、あまりアテにならない知識だネ(父親の方のヨハン・シュトラウス作曲の「ラデツキー行進曲」が正解)。

 昨日はワーグナーを指揮させれば右に出る者はいないという感じのクナパーツブッシュの演奏を聴いたと書いたけど(クナはナチを支持したので戦後批判にさらられたけど、そのことと演奏が素晴らしいこととを短絡してはいけないネ)、暮れにはレヴァイン指揮のブラームス交響曲第3番を数回聴いたヨ(第一楽章しか録音してなかった)。ブラのシンフォニーはどれも好きだけど、3番はイイ演奏が少ないネ。昔のカイルベルト指揮の演奏レコードが記憶に残っているけど、その後は小沢が同じように力強い感じの演奏をしていたネ。レヴァインの指揮はまったく感じが異なり、きめ細かい演奏で実に心地良いのだネ。読めないはずの楽譜を目の前にしているような、あるいはマイクをたくさん使った各楽器の音が分析されている録音を聴いているような、実に素晴らしい演奏だ!(レヴァインも「常任」指揮者だったニューヨーク・フィルの男性演奏家をゲイの「情人」として強いたのでクビになったけど、それと演奏のレベルの高さとは無関係だヨ)

 レヴァインブラームスの素晴らしさを教えてくれたのも、ラジオを愛聴していた吉田秀和で細かく分析するような演奏法の解説に感動をもよおしたものだ。吉田のラジオからはモーツァルトの聴き方はじめ沢山のことを学んだものだヨ。一番好きなブルックナーの聴き方は中野こうじ(漢字は忘れた)さんの解説に教わったけどネ。ともあれレヴァインブラームスはおススメだけど、ボクが録音してあるのはウィーン・フィルで実況をラジオで放送した可能性もあるので、CD録音が出ていてもオケは別のものだろネ。客演指揮のウィーン・フィルでハイ・レベルの結果を出しているのだから、常任指揮のニューヨークならもっとレヴァインの意図が生かされているかもネ。まさに「情」がこもってるだろからネ。

 

@ いつも見ているBSプレミアムの「ワイルドライフ」という番組を横目に書いているのだけど、今回の西表(いりおもて)島の何十種類もいるというハゼ特集には驚くことばかり。1度行った島だけど、海には入らなかったので今さらながら残念だネ。