次回は永井荷風「墨東忌奇譚」(ボクの字が出ない)

中島敦はテクストを読むこと自体が難しいようで、特に「名人伝」は難解な漢字が続出するので読めてないことが判明。
例えば飛衛の「許」(もと)や「とう尾」(漢字が出ない)の一振りくらいは覚えておいた方が恥をかかずに済む。
中島研究の後輩の「紀昌は名人にならなかった」という論を読み返したけど、昔読んだ時と同じツマラナイ論を強引に立てたもんだという感想を繰り返した。
時折ケレンを駆使した論を見かけるが、共感を得られない空論はマネしないようにしてもらいたい。
名人伝」のバカバカしさ・オモシロサを素直に楽しもう!
テクストを根底から読み替えるのが文学研究の醍醐味(ダイゴミ)だけれど、常人とキチガイ紙一重というのと似て説得力が無いとバカにされるだけで終わる。
(ここで言うキチガイは、話題のヒトを特定してイメージしているわけではないことをお断りしておきます。)
他人(ヒト)の悪口ばかり言うのも好くないので拙論の例を出せば、『シドク』の巻頭論文である志賀直哉「和解」論は根底から読み替えた(作家を排除して、私小説として読まなかった)代表的なものと自負している。
(ウソだと思うなら読んでみろ! 難しいけど。)
マットウな志賀研究者から絶賛していただいた論だけど、旧態依然たる志賀研究者が怒っていたということをダメな先輩から聞かされた。
当時岩波書店に勤めていた志賀直哉の息子が「面白かった」と言ったとも伝え聞いて、その囚われない感性を意外に感じたものだ。
(チョッと脱線して自慢話のようになってしまってるのは、阪神がヤクルト相手に珍しく勝っている試合を聞きながら記しているせいかナ。昼間は日ハムが辛勝したし。巨人が9回に逆転勝ちしやがって! 阪神球児のみならず、岩瀬もとっくに限界だけど代わりもいないしなァ〜)

前回補足できなかった三島由紀夫安部公房文学史的位置づけを講義した。
要は第一次戦後派という非日常性・思想性が特徴的なグループと、日常性・落ちこぼれ的な第三の新人達との狭間に位置づけられるのがこの二人。
時代も両者の狭間に当たる昭和20年代の半ばに登場している(三島は戦前から一部では注目されていたが)。
テキストの昭和作品が終わったので、来週はテキストには収録されていないながら重要で優れた作家・永井荷風の代表作である「墨東奇譚」のプリントを配布した。
プリントはページが跳んでいるので注意されたし。
(ヤクルトが同点に追いついたので、これで止める。ホームランを打った畠山は好きだけど。
これで負けると昔ながらの阪神で、アイデンティティの一貫性を感じるけど・・・クソッ!)