【読む】北川さんの太宰論(2)

 北川論の基本は以下のとおり。

 《前半部は小説家である「私」の内省の過程が描かれているのに対して、後半部は表現の模索の過程が描かれたいる。(略)前半部において、自己の外にある「俗」=富士に向けられていた「私」の視線は、反転して自己の内にある「俗」へと向けられていく。》

 《そこ(註~後半部)では、異質な要素=〈異物〉を差し込むことで「俗」な風景を書き換える方法や、同じく〈異物〉を差し込むことで物質のパターン化を脱する方法が試されていた。こうした過程を経て「私」が見出した富士の風景が、性的な「恐怖」や不随意の「欠伸」、堪えきれない「笑ひ」といった、人間にとっての〈異物〉いわば内なる〈自然〉の作用によってあらわれているのは興味深い。外なる自然としての富士を信じられなかった「私」は、内なる〈自然〉を発見することで小説家としての再生を果たしたと言えるのかもしれない。》

 「恐怖」は宿の娘が「私」に抱いていたもので、「欠伸」は例の花嫁の「大きな欠伸」だネ。北川論がこれ等の〈異物〉に注目したのは独自で傑出している。これ等が無ければ物語がリニアに展開するだけのウソ臭さが目立ってしまうところだからネ。

 

 論の細部では「鞍馬天狗」の影響を前景化しているところ等、価値ある指摘もあって読ませるものの逆に腑に落ちないものも残ったネ。一番気になるのは、三ツ峠の茶店の老婆の行為を「老婆の配慮と懸命の努力」と解する点だ。編集委員をしている桐原書店で「富嶽百景」を採用する際に(ボクがアブリッジ=短縮した気がする)、くれぐれも老婆の「努力」を好意と短絡しないように注意を促しておいたのだけど、「私」は老婆の「配慮」や「努力」に感謝しているのではなく、老婆の〈素朴〉さに打たれているのだネ。老婆の心との通じ合いではなく、老婆から距離をとった地平から人間の〈素朴〉さに感動していると見るべきだ。この〈素朴〉さは表現上の「単一表現」に通底しているとも思われるのだけれど、どうだろうか?

 既に先行研究にも指摘がありそうだけれど、「単一表現」の「単一」さは作品が発表された昭和13年頃の理念だったのではないだろうか。長い中断を超えて志賀直哉の「暗夜行路」が完結され、それを機縁に小林秀雄が「志賀直哉」(昭和4)で強調した〈単純さ〉を「志賀直哉論」(昭和13)でくり返したのも、当時の文学状況が追い求めたものが表現上の簡明さ=「単一」さだったからではないかと考えているのだけれどネ。時代の混迷・閉塞し内攻する作家の意識から、「志賀直哉詣で」が意識の中だけでも続けられていたものと思われる。あるいは他の作家以上に志賀直哉を敬愛し続けていた太宰なればこそ、昭和10年代前半の実生活と己の文学の混迷から、志賀直哉の「単一」さが渇望されたと思うのだネ。詳細は『シドクⅡ』に収録した「如是我聞」論を参照してもらいたいネ。