井上ひさし「握手」論  ヒグラシゼミ感想

井上ひさしは劇作家としてのイメージが強するせいか、小説の方はご無沙汰気味で「握手」という中学教科書の定番(?)も初めて読んだ。
やはり上手いなぁ、というのと中学生にピッタリの教材だという印象。
今度授業で取り上げるので、ヒグラシで自分の読みをチェックしてもらいたいというレポの希望に応えたヒグラシ。
夏休み中の日曜というので、ほとンど集まらないと踏んでいたにも拘わらず、ボクを含めて8名という盛大さ。
それも学部生がゼロで現職や元教員が多く、院生も1名のみ。
終わったばかりの免許更新講習の受講生で、意欲的なナオミさん(「奉教人の死」におけるろおれんぞとしめおんとの関係をホモチックと読む点では、むかし立教院で同じ読みを示してボクを驚かせたナオミちゃんと同趣向なのでナオミと呼ぶ)が参加したのは貴重で、レポには特に有り難かったはず。
このナオミさん、「握手」の授業を実践してきた自信に裏付けられているとはいえ、院生レベルの議論に果敢に参加できるほど頭の冴えた御仁で、こういう頭と心を持続できていれば「免許更新」は花丸で合格である。
先般レポをやったナオコさんは、脚を引きずるほど体調が悪くてヒグラシゼミ以外のお稽古ごとは止めているとのこと、学生にもこの熱意があれば・・・

さて10ページもある発表は、ハナから「?」が連発されるほど挑発的(?)な把握が提出されて議論が盛り上がった。(以下は充実した議論をボクなりにまとめたもの)
先行研究に松本修さんの名が『ブリコラージュ』の出典名と共に上げられていたので、懐かしいこと!
彼はボクが宇都宮大学にいた頃に、現職教員を経ながら大学院に入学してきたヒトでスゴイ勉強家(殊に新理論書)で、当時から国語教育中心に論文を連発していた優れもの。
松本論がレポに影響してしまうのも当然ながらも、ルロイ修道士の指がスティグマ(聖痕)だという松本説を退けた所はエライ。
松本論は全体に深読みし過ぎで、スティグマ説も大仰だし「精神の伝承」というのも大時代的過ぎてハマっていない。
5年以上前のことだと思うが、BUNKAMURA美術館に行ったら数人の少年が大工道具で遊んでいる絵画があり(画家の名は記憶にない)、キャプションに「1人の少年の足の甲に傷跡があるのは、イタズラしていて怪我をしたもの」とか記されていたのでビックリしたものだ。
常識から鑑みて、これは大工の子に生まれた少年イエスを暗示したものと読むべきであろうが、この美術館の学芸員の無知な低レベルさには呆れるばかり。
スティグマとはこのように自然と現れる傷跡であり、日本人に叩き潰されたという原因がはっきりしているルロイ修道士の人差し指には当てはまらない。
だから松本論がルロイを「聖人」と捉えるのもオカシイのであり、フツーに読めば過剰なまで善人のオッサン以外ではなかろう。
松本論が説くような、「伝承」されるべき「精神」性など持ち合わせたオッサンではあるまい。
テクスト末尾で「わたし」が先生の指癖を無意識で真似してしまうのは、「伝承」された「精神」の現れなどではなく「肉体」レベルの問題であり、この作品は「精神」ではなく「手と指」の物語なのだと読むべきだと思う。
間近に死を控えたルロイは往時生徒を「平手」で打ってしまった罪意識をズッと引きずってきたのであり、当の生徒に「あやまる」ことで許されて罪意識から解放されたい一念で遥々上京してきたものと読める。

(註記)松本論は未読で、レジュメやレポの補足説明から理解したものだから、少々理解がズレている点があれば、予め松本さんにお詫びを言っておきたい。

<アフタター> 
サンタのアマッチがまた酒類のみならず高級そうなショートケーキも沢山プレゼントしてくれたので、ズーシーやセンちゃんが大喜びでダブル食べるした(2個食った)。
ズーシー(の親父さん)が差し入れてくれた沢の井の大吟醸は、ちょうど日本酒が呑みたかったところなので、ビールを飛ばして最初から呑んだ冷酒が沁みたこと!
部活に行くはずだったのに、雨で中止のために急遽参加できたハルチン達の贈り物だったチーズを用意してあったところに、ナオコさんからも珍しいソーセージと一緒にエダムとかいうチーズの差し入れがあり、アマッチ持参のチーズも重なって各種のチーズの山が残っている。
レポからも千葉勝浦のマグロの角煮という土産もあり、用意したパンがまったく手つかずに終わったのでハルチンに持って帰ってもらった。
ハルチンがいつも通りの調子で活発だったので安心したが、いつもに似合わず酔っていて心配だったので、(いつもと立場が逆ながら)途中まで送ってから帰宅してすぐに臥床熟睡。