土曜日のせいか3人だけの参加  古井由吉「杳子」

セクハラ追及のお蔭で延び延びになっていたヒグラシゼミを、授業が始まってしまった現在なので已むをえず土曜にしたらレポを入れて参加者が3人という淋しさ、情けない奴らだ(特に院生)。
作品を(作家も)知らない国語学生が殆どだとすれば、これも情けない状況に違いない。
現代を代表する作家で、文学の質もレベルも春樹を超えていると言っていいだろう。
ノーベル賞は文学以外のことで評価されることが多いので、古井とは無関係なのは良いことだと思える。
大江が核問題(や障害児)に関係したり、最近の春樹が平和問題に発言したがっているのと比べると、古井の潔さが際立って見える。
さて修論の中間発表的な位置づけで聴いたズーシーの「杳子」論は、先行研究をよく消化できていて、その上で自分なりの結論を出し得ていたが、「詩的」という概念などのように結論に至る過程で疑問を抱かせる把握が気になった。
吉本隆明「言語にとって美とは何か」の概念で言えば、「指示表出」と「自己表出」の問題、あるいはテクストの「表層」と「深層」の問題などを正確に押さえた上で論理を展開しないと崩れやすくなるので要注意、と指摘した。

次のヒグラシゼミは24日3時から。