イチロー引退記念公演記録(1)

  「イチローのできるまで」
   ――イチロー引退記念口演記録(学大+宇都宮大)  関谷一郎

 去る三月二二日に学大で、二九日に宇都宮大学付属幼稚園で「卒業生との集い」を催していただいた。世に言う「最終講義」の代わりにやったもので、学大での表題は「女と○○は・・・」というもの。「・・・」は伏せ字で「量より質」が入るのだが、看板が当日正門に掲げられることもあって自主規制したしだい(看板は書家・畑澤宏和先生の手)。学大のホームページには最終講義の案内が出ることになっているそうだが、自粛した表題ながら助手が要請してくれたにもかかわらず当局が却下したようで、案内は出なかったとのこと。どうでもいいのだけれど、任期を無為と無能で通した(お松さん・お竹さん正副学長ペアを中心とする)執行部だったにもかかわらず、最高の批判者・イチローに対する低レベルの「英断」には呆れるほかない。ちなみに宇都宮での口演は「卒業生との集い――祝・イチローもやっとこれで楽隠居」と題してくれて笑えた。何かと忙しく「楽隠居」の身分にはまだ程遠いけれど。
当局のびびり方を超えて、実のところ表題は「ナマで行かせて」がふさわしいと考えていたくらいだけど、それじゃアンマリなのでそっちは『青銅』に寄せた文章の題に回した。あくまでも「卒業生との集い」だから「ナマでダラダラ」と話そうと思ったので、案内状であらかじめ聴きたい話題のアンケートを取ったら、子供の頃や小中高時代のことが知りたいというのが多かった。そういえば呑みながらそんな話をしたことがなかったと気づき、イチローの「生成」について自分なりの理解を示してみようというのがメインとなった。その他ふだんの講義中でもついグチってしまうことがあった結婚にまつわる質問も少なくなかったが、それは本番の呑み会の方に回した。宇都宮では二次会になってやっと結婚話を始めたそうで(酩酊ゆえ不明)、最後まで聞くために最終電車に乗り遅れた人が複数いたとのことで申し訳ないことだった(それほど大した内容じゃなかったはずなのに)。
年に数回は電話で話すギュー千代・元ゼミ長が、長年の独身生活に終止符を打ったのはイチロー先生に似ている男性に出会ったからと聞かされていたが、ナマで見たらホントに似ているのでビックリした。そっくりさんは世界に三人いると聞いたが、ホントらしい。ギューは同伴で長野から来てくれたのだが、東は仙台から西は島根や四国(一人は一橋大)から参集してくれたり、初代のユカチンのように二回とも来てくれた卒業生もいたが(それぞれ大カンゲキ!)、参加したいのにできないので残念という気持が強く伝わってくる返信もあったので、そういう人たちに応えるべくここに「ナマダラ」を再現してお送りすることにした。
学大では履歴資料の五行だけで一時間半もかかった、と呑み会の挨拶で千田ヨーコ―氏に皮肉られるハメとなった。敬愛する山田ユーサク氏からも同様の感想をいただいたが、それもイチロー得意のナマダラ芸であり気心の知れたた卒業生相手のバカ話を意識していたので、諸先生においてはさぞや退屈させてしまったのではないかとお察ししている。国語講座の同僚の皆さんには、あくまでも「卒業生との集い」だからご遠慮下さいとアピールはしておいたのだけれど・・・。話者とのやりとりが期待しにくく、聞くだけというのも単調になりがちなので、あらかじめ読み物としてイチロー生涯唯一の小説を配布しておいたが、その効果は不明。全共闘時代の学園モノであるが、芥川賞受賞の「僕って何」よりはマシなデキだという自負もあり評価もいただいてはいる。
でも昭和ゼミがらみの本物の作家が二人、文學界新人賞のボッキマン(松波太郎・一橋大)とすばる文学賞のカネシロ―(金城孝祐・武蔵野美術大)が揃って参加してくれたのは嬉しかった。好きな小説家や作品は? という質問も寄せられていたが、梅崎春生(「桜島」「幻化」)・高見順(「故旧忘れ得べき」「いやな感じ」)・井伏鱒二などだが、嫌いな作家の方が少ないだろう。楽しく読めないのは葛西善蔵嘉村礒多などの私小説牧野信一尾崎翠など、そして探偵小説・推理小説には全く興味が無いのは日ごろから言うとおり。

さて歴史に残る「最終講義」というのがあるのかどうか詳(つまび)らかにしない。そんなものを権威づける発想自体があるなら、そのアカデミズムをこそ相対化してやろう、くらいの気持はあったのかもしれない。でもそれは後から見出した理由のようで、とにかく従来の形式の「最終講義」をするのが嫌だという気持を抑えがたかったまで。ともあれ「最終講義」という一回性に特別な意義も感じないので、企画していただいた学内の学会・講座にその手のものはヤル気がない旨をお伝えした。代わりに心の通った卒業生たちと記念の大宴会をやりたい、という気持はことのほか強かった。三〇年かけて築き上げた若い友人(卒業生)たちとの結び付きという財産を、共にこの目と身体で実感したかった。宴会である以上、夜の部が本番であり、昼の部は皆が揃うのを待ちながらの雑談ということになる。雑談であるかぎり意義や価値のある話は禁物、ということになって自分の気持にもハマって好都合だ。パーティなどという気取ったものではなく、宴会である以上、酒は必要でも花束など不要なのは当たり前。第一、葬式でもあるまいし花束ばかりもらっても何にもならない。だから案内状に「花束くれるなら酒をくれ」と、昔のドラマの決め台詞めいた要望を記しておいた。幸い誤解する向きもなく、集いの半月ほど前から大学や自宅にたくさんの酒が届いた。感涙止まることなし! ガハハハハハ・・・
しかし皆で呑ませてもらうと記したはずだから、自宅に送ってもらった酒の一部を前日と当日の二日間かけ、電車と歩きで運ばざるをえなかった。前日は一升瓶を両手に提げて三〇分超歩いたせいか、尻の筋肉痛になって焦った。幸い当日はなんとか歩けたものの、日ごろのエコ主義に反して国分寺から大学までタクシーを利用してしまった。前晩に遅くまで当日配布するレジュメの作成をしていたせいか、肝心の当日は微熱があって体調すぐれず、予定通りのことができぬまま無念な事態の連続で情けない限り。もっと早く会場に行って、自分の希望に近い形を徹底したかったのだが果たせず、神村助手と学生たちの負担を増やして申し訳なかった(本番で呑んでいるうちに、しだいに回復していったのは不思議)。宇都宮では体調も良かったせいか「舌好調」で、呑み会の時間が迫ったからと止められたほど。ともあれ、二回の「口演」でも話し切れなかったことも付した内容は以下のとおり。なお段落分けや章立てをしなかったのは、ナマダラな感じを文体でも表したかったからであるが、それも芸のうち。(続く)