ご報告とお礼

10年勤務した宇都宮大学の元同僚(学部は異なる)のスミオちゃんから、定年退職の挨拶ハガキをもらって自分が出してないことに気付いた。
同年齢のスミオちゃんは絶対に悪いことができない人で、「あんたみたいな善人は珍しい」と賀状に書いたこともあったナ。
しかしそのスミオちゃんさえも、大方の学大の教員のように「見ぬフリ」をして弱者を見殺しにしてしまうかどうかとなると、確信を持って言いきれない。
などと失礼なことが書けるのも、学大ではクレイ爺のセクハラを村松・大竹ペアを中心とした執行部が率先して「見ぬフリ」を通そうとし、大方の教員がそれに従った醜態をこの目で見てしまったからだ。
スミオちゃんには無関係なことを記してしまったのも、クレイ爺の犠牲者の一人が来日した親と熱海に行ったら、当地に住んでいるクレイ爺とニアミスするという稀有(でカワイソウ)な経験をしたと人伝に聞いたからだろう。
幸いクレイ爺には気付かれずに済んだそうだが、親御さんから見てもクレイ爺は明らかに頭のヘンなヒトだという感想には説得力を感じた。
ホンモノのビョーキなら、意味不明なことをブツブツつぶやきながら歩き回るようになる、というのが学大にいた精神科医から聞いた一般論である。
クレイ爺はともかくも、この犠牲者がなぜかボクに詫びたいという気持でいるとも聞いて、その理由が全く分からないので落ち着かない気持になった。
その留学生一人のためにクレイ爺と執行部相手に闘ったわけではないので、詫びられる必然性を感じないので落ち着かない。

ともあれ早速遅ればせながら退職の挨拶文を認め(したため)、今日は近場の一橋大に行って数名の関係深い人々に配布してきた。
以下のとおりだが、末尾に記した新メアドと住所・電話番号は消してある。
昔ブログにメアドを記したら、タマオちゃんからキツク注意されたのを覚えているからだ。
吾ながら何故あれほど「最終講義」を嫌がったのか、自分なりの分析が少しはできた気がしている。


 年賀状やブログではつとにご報告申し上げましたが、この三月をもって東京学芸大学を定年退職し、今や「悠々自適」の生活に浸っております。と言いたいところでありますが、実際はつい先日研究室の片付けが一段落した後、自宅の整理に追われているところです。
 ありがたいことに国語講座の皆さんから特任教授として残るよう勧めていただきましたが、四〇年近くの教員生活ではままならなかった時間を、余生は自分のために使いたい思いに駆られ、念願の〈読み書き〉の生活に耽ることにしました。「学生依存症」に罹ったまま老害を撒布し続けずに、「怖るべき後生」に道を譲るべきだと教授会やブログで主張してきましたが、何よりも買い溜めた本を読めないまま人生を終りたくない思いが強かったからです。〈読む〉ことの結果として書きたいことが浮かんでくれば〈書く〉までで、それも発表する価値があればそうするまで、といった心境です。ですからこれもありがたいことに、記念論文集をまとめるよう勧めて下さる向きもありましたが、さしたる価値のないものを出す拙速を避けるために三冊目の著書の出版は見送りました。
 元来晴れ晴れしい「記念」の主人公に納まることが好きでないのか、あるいは誰もがやることだからという「同調圧力」に本能的に反発する小児病からか、還暦祝いもお断りして卒業生達を困らせたこともありました。今回もせっかくの「最終講義」の機会を与えていただいた学内の学会と講座のご意向に反して、「卒業生との集い」と称してできるだけ意味のない話を目指す「口演」を試みました。実のところは「ナマで行かせて」と題した方がふさわしい内実でしたが、「大学の名誉」を考慮して「女と○○は・・・」(「・・・」は「量より質」の伏字です)という演題に止めました。もちろん「最終講義」や「講演」の持つ権威を茶化すなどという大それた意図を持ってやったつもりはなく、「ナマでダラダラ」という自分にふさわしいやり方で終止符を打ちたかっただけです。大学教授という肩書に、最後まで馴染めなかったということでしょうか。
 さて〈読み書き〉の生活に耽ると記したものの、若い友人達(卒業生)と築いた豊かな〈関係〉無くして吾がジンセイはあり得ませんので、イチロー・ファミリイーの「ゼミ部・釣り部・呑み部」を充実させ、それぞれの「部活動」にも励みたいと意気込んでいます。部活動の案内は「関谷ゼミブログ」それぞれの欄に発信するつもりです。「釣り部」は既に四月一九・二〇日に那珂湊の稚アユ釣りで釣果を出しましたし、月に一度開催予定の「ゼミ部」は五月一七日に定年後の第一回のヒグラシゼミを計画しています。
 健康状態は血圧が多少高めであり(一日一錠)、一年半ほど前から時おり喘息の発作が起こる以外、至って健康です。尿管結石は十年あまり発症していませんし、払いきれないローンで首が回らないのが最大のストレスといったところです(マッチョな筋肉を回復すべく、腕立て伏せをやりすぎて苦しんだ首痛は全治しました)。
 ボケの進行は加速度を増していますが、まだ意識のハッキリしている今、これまでの皆様のご厚情に感謝の気持をお伝えしつつ、近況報告とさせていただきます。
  
二〇一四年四月     関谷一郎