吉本隆明「転向論」の補足  小林杜人  『共同研究 転向』  佐多稲子「虚偽」

昨夜、リュウメイの「転向論」を想起してブログを書きながら、彼が評価していた思想家・運動家の名前が正確に浮かばなかった。
今、「転向論」には出てこないことを確認した後に、目ぼしを付けておいた『共同研究 転向』(思想の科学研究会編)のまず下巻を取り出してきた。
名前は「杜」が付いていたのは覚えているのだけれど(この漢字を知った最初の例だから)、姓は小林だった気がする程度までは思い出せたのが寝る前の段階だった(自力で思い出すのがボケ防止と言われているので実践している)。
小林杜人(もりと)がその名で、正確には下巻の「共同討議」で吉本が
《僕の考えは徹底して大衆からの孤立を否定するのであって、たとえばくっついていって、最後に潰れても、しかしともかくくっついていかなければ組織論としてだめなんだというふうに考えているわけです。》
と「転向論」の主張をくり返したのを受けて、平野謙
《その場合に、この本(『転向』)の中に小林杜人という人のことがあっちこっちに出てくるが、(略)吉本さん流にいえば、日本封建制の底辺に密着すると、よかれあしかれ、小林杜人のような転向が結果するのではないか、こういう小林流の転向の型は、吉本さんの転向論からはうまく解けないのじゃないか、というような疑問があるのですがね。》
と発言しているので、吉本が必ずしも小林杜人を評価しているとは断言できないようだ。
小林について詳細は上巻に記述があるようだけれど、脳が疲れているので今は読むパワーが無いので訂正・補足することがあれば機会を改めたい。

それ以上にこの討議は久野収藤田省三鶴見俊輔等が参加している水準の高い興味深いものなのでおススメしておきたいのだが、いま目に付いた佐多稲子についてのやり取りが気になった。
3年前だったか、立教大大学院のテキストに石川巧・川口隆行編『戦争を〈読む〉』(ひつじ書房)を選んでゼミ授業をした時に、佐多稲子「香に匂ふ」のレジュメに佐多に対して批判的な論文が紹介されていたので、いずれ検討してみたいと考えていたからだ。
林芙美子火野葦平の場合もそうだけれど、現在の立場からいとも簡単に戦中の作家の言動や作品を批判するのが不快で許せないこともある。
討議では佐多の「虚偽」という作品と言動が議論されていて、戦中の佐多の随筆集について吉本が《好意を感じながら読んだけれども、決して肯定的は読まなかった。》と発言しているのも印象的だ。
イワクつきの作品のようなので、この「虚偽」は入手しにくいのかもしれないけれど、ぜひ読んでみたいものだ(作品について情報をお持ちの人がいればご教示下さい。学大には佐多全集は無かったナ)。
小林杜人と同様に(?)、稲子も芙美子も葦平も「くっついていって」傷を負うことになったのではないか、と考えるからだ。