『石ノ森章太郎論』  山田夏樹

遅まきながら手塚漫画に圧倒されていたのを知ってなのか、ナッキー山田クン(もちろんラッキー池田からの命名)がわざわざ漫画を送ってくれたと思い、ホントに気の付くヤツだとほくそ笑んでしまった。
ナッキーは立教大で博士号を取得しているので学部・修士課程が東京学芸大にいたことを知られてないかもしれないが、レッキとした学大系の誇れる人でもある。
学部の頃はある理由からお互い距離をとっていた感じだったけれど、大学院に進学してからは授業に来るようになったので実力が判ってきた。
最初に認めたのは立大の学会発表を聴いた時で、直後に感想と助言を書き送ったのを覚えている。
それ以来次々と論文を発表していたようだけれど、関心の在りどころが異なっていたので活字化されたものは読んでいるヒマは無かった。
それでも時々論文指導めいたことを頼まれたこともあり、いつもながら完成度の高さに驚き続けたものだ。
ほとんど直すところが無いのが不思議なくらいだったのは、頼まれれば断らないで指導してきた論文の中には、日本語の主述の呼応から始まって8時間ほどかかったものもあったからだ(その時は3人をぶっつけ11時間ほどやった体力があった)。
言うまでもなく、文章の力は論の説得力と連動する極めて大事な要素だから、決して疎(おろそ)かにできないものだ。
なぜか博士論文の審査を依頼されたので、ジャンルの狭い自分の勉強のためにも喜んで引き受けた。
なにせ提出論文の半分は漫画関係で、残りの半分がハルキ等の現代文学なのだから自信が無いものの、優れた論文ならジャンルを超えて理解可能なので楽しめた。

そのナッキー君が送ってくれたのは、ボクがほとんど読んだことの無い石ノ森の漫画ではなく(表紙が一面漫画なのが誤解の元)石ノ森の世界を1冊で論じ切ったものだった。
ボクのように漫画が苦手なヒトは自分とは無関係だからスルーしようと受け止めるかもしれないけど、モノスゴク文学的な著書なのでおススメします。
目次を見れば明らかで、項目をいくつか拾えば、

マンガとは何か――その表現形式と身体性
流動的身体のせめぎ合いーー「リボンの騎士」と「二級天使」
マンガの制度――初期作品での「内面の発見」と「風景の発見」
創る者/創られる者
「モダン」(近代)/「ポストモダン」(ポスト近代)の乗り越え
「歴史」の解体と「可能性」

どう見ても文学論でしょ。昔NHKでやっていた「マンガ夜話」を思い出すネ。
ナッキーにも以前言ったことがあるけど、この番組は文学以上に文学を感じさせてくれたメチャ面白い番組だった。
夏目房之介いしかわじゅん岡田斗司夫大月隆寛(MC)などが熱弁を奮っていたもので、全部再放送してもらいたいものだ。
青弓社より2000円、高くはない、読むべし・買うべし。