日本近代文学会、春季大会(1日目)

1日目
会場が4つに分かれて種々様々な企画・発表が聴けるなんて、隔世の感で嬉しい驚き。
ボクが運営委員や昭和の会務委員をやっていた頃は、企画や発表者不足で頭を悩ましていたものだから。
黒岩裕市クンや山根龍一クンが檀上に立つという第四会場も聴いてみたかったけれど、テーマには全然興味が無いので行かずじまい。
まずは第三の大岡昇平を聴くはずだったけど、(前日が雨で)溜まった洗濯物を洗って干すのに手間取って遅れてしまった。
まだ出歩けない学大ハカセのリョーコちゃんにレジュメと感想を送る約束をしたのに、質疑に応答している発表者の姿を廊下から見かけただけだったので申し訳なかった。
レジュメも残部が無かったので、司会席にいた顔見知りの委員(リンさん時代の昭和の会務委員としての記憶が強いけど名前が不明)を読んで追加コピーをしてもらったので助かった(ありがとう!)。
次には安吾なので第二会場に。発表は予想通りツマラナカったけど、原卓史クンに会ってお約束の品(昔のレジュメ)と『学芸国語国文学』のボクの退職記念号を渡せた。
次には第一会場で漱石論2本を聴いた。
定番の「三四郎」と「それから」だったので期待はしていなかったけど、やはりほぼ収穫無し。
三四郎」論はヴェラスケスの模写画という細部に注目したのは手柄だったけど、細部とテクスト全体の読みとのリンクに予想通り失敗していたので残念(宗像さんがイタイ所を突いていた)。
でもいつも学生に伝えてきた通り、《テクストの細部を立ち上げる》というのは独創的な論を組み立てるためのスタートだから、その点ではイイ発表だった。
「それから」の発表は留学生だったから「蛇に怖じず」にやっちまったのだろうけど、全国区の学会で発表する水準には遠く及ばない。
そもそも代助の言う「自然の愛」という言葉自体を疑いもなく受け入れて立論しているので、数十年前の論を聞かされている思い。
運営委員側としては発表の水準まで予想できないままに発表者を決めなければならないので、よくある失敗ケース。
宮崎駿は知ってるけど、会報で漱石とくっ付ける発想に恣意性しか感じなかったので聴かずに帰宅し、干し切れなかった洗濯物を干した。
漫画と文学を架橋する山田夏樹クンの論の面白さと説得力には圧倒されるけれど、彼に上げるためにもレジュメだけでももらっておけば良かったとハンセイ(二日目に会えたのだから)。
偶然ながら(?)同姓の山田有策氏に会えたので、20日の三好行雄師のご命日の追悼呑み会の、帰りのタクシー代をもらい過ぎていた分を返却できてスッキリできたのもこの日の収穫。
酔ってケガして救急車で運ばれメガネは半壊・額が縫われてからは外で呑むのは避けているので、懇親会は不参加を継続中。

@ 去年だったか、東大駒場が会場だった時に見かけてオスギ(杉本優)かと思って声をかけたら別人だった人が、今回の会場である外大の柴田さんだと判明したのも収穫の1つかな。