ユウ君、独り爆釣!  好事魔多し?

館山でシロギスが上がっているという情報が入っていたので、期待して乗り込んだ。
作家センセイのカネシローが急な仕事が入って不参加だったので、ユウ釣り部長とアマッチ呑み部長の3人で乗り込んで現地のハチ夫妻と合流した。
早朝7時からユウ君と釣り始めたけれど、ユウ君はコンスタントに釣れる(メゴチを含めて)のだけれど、ボクはいっこうに釣れないのは不思議だった。
アマッチが10時ころから始めたけれど、ポツポツ釣れはするものの数が伸びない。
午後から参加のハチ(夫人)が1投目で小さなマダコを釣り上げたけれど(人生初)、タコ(ハチ)がタコ釣ってどうするンだという話。
夫妻はボク同様の釣果で泣かず飛ばず、結局夫妻とボクはシロギスだけでいうと3尾程度、アマッチも5〜6尾だけだったようだから、ユウ君1人の釣果が十数尾というのはどうみてもオカシイ!
ユウ君に何かあるから気を付けろヨ、交通事故とか、と何度も言ったのが現実になったので、改めて世の中は不思議なことが起こるものだと実感したネ。
というのも翌朝9時ころにユウ君と釣り支度を始めていたら、ユウ君に電話が入って退院して間もないご母堂の様態が急変したという。
1本目の棹を延ばし始めた程度だったので、急遽帰り支度を整えて国立・府中に向かった。
幸いユウ君が帰宅して間もなく「親の死に目に会えた」ということなので、ホントに良かった。
ご母堂は高齢の上に種々の部位の病いと闘いながら持ち堪えてきたとのこと、夏まで持てばと期待されながらの急変だったそうで残念なことだった。

【ボクの場合は母の時は病院で深夜状態が急変して「死に目に会えず」、父の時は早朝東京に様態が急変したという報せが入って新幹線で前橋に向かったのに、高崎に着いた時は眠り込んでいたので慌てて出口に向かったらドアが閉まる寸前。
とっさの判断でドアの隙間に腕を延ばして発車を阻止したら、駅員が飛んできて手動でドアを開けてくれたので無事降りることができた。
ボクも残った片手で開けるのに協力したつもりだったけれど、新幹線は一度閉めると開けることができない規則らしい。
でもせっかく力を発揮したのに、高崎駅から前橋の病院に電話したら、姉が「もう亡くなったから慌てることはない」という返事で力が抜けた。
週に1度、東京から前橋の病院に通い、実家に連れ帰って数時間を共にしてから病院に戻すことをくり返して(2年くらいかな)きたので、思い残すことは無かった。
それより母に先立たれた父が、「もうオレはイイんだ」(生きていたくないのだ)と時々洩らしているのを聞くと胸が詰まる思いだった。
孫を可愛がっていた母と違い、母生前から何に対しても興味が失われてしまっていた父が生きる力も関心も失くしているのを見ると、自分が無力でしかないのでツライだけだった。
祖父が45歳で亡くなったため、18歳の時から父親代りで弟妹5人を育てるのに邁進してきた父には、積極的な興味も趣味も持つヒマが無かったのかもしれない。
そんな父の姿を我が子や孫たちに伝え得るのはボクだけだと感じ始めたこの頃、ヒマを作って書き溜めていかなければならないと考えている今日この頃だ。】

さて1人早朝から釣っていたアマッチは、11時頃に雨が降るまで粘ったものの、釣果は前日並みだったとかでユウ君の不思議な爆釣ぶりを補強したような結果となった。
皆さん、過剰にイイことが起こったら気を付けて下さい。