柳家小三治  立川談志

(これも前に書き始めたものが放置されていたので、パソコンが正常に復した27日に続けて記します。)
朝日新聞には「語るー人生の贈り物ー」という連載記事があって、晩年を迎えた著名人が十数回にわたってインタビューに応える形で「人生」を振り返っている。
面白いのでだいたい読んでいるけれど、今は森昌子で100パーセン興味が無いから読んでない。
11月初旬は柳家小三治で、9日の第9回では珍しく(?)立川談志について語っていた。
談志は小さん門下で小三治の兄弟子であり、小さんと3人で1つの落語を交代で小刻みに語ったテレビを見たこともある(面白くなかったけど、談志のアイデアだったのかな)。
小三治がエライと思ったのは、こぶ平(今の林家正蔵)が昇進する時の審査で他の否定的な評価に抗して「自分は面白いと思う」とハッキリ言ったおかげで、こぶ平が真打になれたというエピソードを聞いた時。
小三治はバイクを乗り回す趣味以外にフォーク・ミュージックも好きで、「シクラメンのかほり」が流行った時に「小椋佳にはもっと良い曲もあるンだけどネ」と「シクラメン」の通俗性を批判する人に対して小椋佳を弁護していたのも思い出す。
ただ小三治の落語自体は2〜3度聞いたことがあるけれど、全くイイと思えなかったし小三治を評価する発言も聞いたこともない(学生時代の仲間には落語ファンが多いけど)。
その小三治人間国宝だというのだから呆れるばかり、選んだ人間の見識を疑っている。
人はイイけど落語は良くないという点では談志の逆で、談志は人は悪い(と思われがちだ)けど落語は柳家こゑんの名の頃から群を抜いて上手い。
あれで人が良ければ昔から人間国宝になっていても不思議ではない、と個人的には思っているけど人情噺は好きでない、落語なんだから笑わせてもらいたいネ。
その点で芸風は異なるけど故・桂枝雀が面白くてイイ、ボクの中では談志と落語家の双璧だったナ、うつ病で自殺してしまったけど。
談志も時々ウツ状態になるようだけれど、フツーを逸脱する才能は落ち込みやすいのかな? 小三治は絶対ウツにはならないネ、才能もフツーの人だから。

ともあれ記事では小三治が談志の落語を高く評価しつつも、《家元になりたいとか、議員になりたいとかいうことがなければ、とんでもない人になっていましたねえ。》と語っているけれど、やはり小三治は分かってないと言うほかない。
人間のスケールが段違いなんだネ、小三治はごくフツーの人間に止まるけれど、談志はフツーには止まれないあり余る才知を持て余して苦しんだのだと思う。
議員になったのは、フツーの人間がなりたがる意味でなったのではなかったのは明らかだろう。
談志本人は「オレは学歴が無いからコンプレックスがあるンだ」と説明していたけれど、国会議員になったのはその程度の理由でしかなかったはずだ。
議員になって何かをやりたいわけではなかったから、問題を起こしてすぐに辞めてしまったわけだ(それ自体は問題だけれど)。
だから小三治の認識は誤りで、家元や議員にならなければもっとすごいレベルの落語家になったわけでは全くない、むしろ余計なものに精力を費やしていたからこそあの高みに達したと考えるべきだろう。
小三治も言及していた談志のライバル視されていた古今亭志ん朝も、若い頃は落語以外のタレント活動をしていたけれど、あれは才知があふれていたわけでもないし、タレント活動と落語のレベルとは無関係だろう(個人的にはフツーを極めたレベル程度だとしか評価できない、面白いと思ったことはない)。
談志の弟子の1人、立川志らくも落語家以外の活動が多いようだけれど、これも談志と同じ事情を感じているので機会を改めて語りたい。