近代文学会春季大会  市川遥さんの井伏鱒二論  聖心女子大大学院  木村陽子  法政大学大学院

2日目はわざわざ出かけるほどの興味を覚えなかったのでヒグラシゼミを入れてしまったけど、1日目は井伏鱒二など関心があるので出かけた。
市川遥さんの井伏「遥拝隊長」の発表はメタファー読みで面白かったのだけれど、「びっこ」やキチガイという差別語に括られている用語に対する気配りに力を入れ過ぎたためか、発表の趣旨が十分に伝わらなかった模様。
「びっこ」の悠一には戦中と戦後の「境」を「超える」ことも「跨ぐ」こともできなかった、という結語は批評的で面白かったけど、頭の固い研究者には突飛過ぎたのかもしれない。
ただ悠一がトラックから落下して「びっこ」になってしまう姿は、《価値観の急激な変容からこぼれ落ちる、敗戦後の彼自身の姿と重なる》という読みは、ボクにも飛躍が過ぎて感じられたナ。
この数年、学会発表に対する質疑応答が若手研究者や院生に担われていて面白く刺激されるのも楽しみなので期待していたところ、意外に質問が出なかったので運営委員長の山口直孝さんが仕方なさそうに挙手したのは、昔ながらの光景で同情するやら若手に失望するやら・・・
ボクも昭和文学会の会務委員(長)だった頃は、せっかくの発表に質問が出ないと敢えて挙手したものだけれど、最近はそういうことが無くなったと思っていたので残念。
山口さんも困って「野火」との比較などを質してお茶を濁した印象だったけど、その後の佐藤公一氏(下らない小林秀雄論をたくさん出している御仁)の質問はまるでズレていて時間の無駄だった。
こんなことなら遠慮せずに挙手して、トラックから落ちる箇所の読みの牽強ぶりを突っ込んでやった方が、生産的な議論になったかもしれない。
後で聞いたら発表を面白く聴いたという院生もいたのだから、積極的に質疑に参加してもらいたいものだ。
発表した市川さんが名古屋大院生だというので、後で博士課程にいるはずの通称ハタ坊の情報を聞いてみた。
むかし聖心女子大の院の授業を担当していた頃の受講生で、子育てが一段落しいたので研究に戻りたいという相談を受けた女子のことだ。
名大には時々京都から通っているので影が薄いらしく、最初市川さんには思い浮かばなかった模様だったけれど、思い出してくれたので研究を続けているらしいことは判った。

続く中野重治の発表も昔ながらの中野論的だったせいか盛り上がらなかったけど、幸い竹内栄美子さんがいたので中野論的議論は成立していた。

安部公房論が2本あったけど、岩本知恵さんの「人魚伝」がこの日一番の刺激的な発表だった。
ボクは公房に関しては全くのシロウトながら、これも聖心女子大の院生だった頃から木村陽子さん(公房の単行本はすぐに2刷りが出たほど売れた)の論文指導を続けていたので、早稲田大学の博士論文を審査したという経過もある。
のみならず昨年から担当している法政大学大学院では、去年も今年も公房について研究している学生がいるので、今回の発表には興味があった。
発表が面白かったせいか、やっと若手からの質問が出されたので議論を楽しむことができた。
その中に「法政大学院生の古平ですが・・・」という質問が出た時はビックリしてしまった。
昨年から「院生は学会に参加して、自大学では得られない刺激を受けなさい」と言ってきたのだけど、去年学会で会った法政の院生はいなかったものの、今年は早速(別の会場に1人参加したそうなので)2人も参加したというので今後も期待したい。
もう1本は「砂の女」を留学生が発表したのだけれど、「信頼できない語り手」というテーマがイマイチあいまいでつかみきれないため、議論が深まらない印象だった。
テーマはとても面白いものではあるけれど、有名どころでは龍之介「地獄変」の《語り》を始めとする他の「信頼できない語り手」などと比較しながら自論を検討し直した方が分かりやすくなったと思った。