【テクストの読み】「山月記」をめぐって〈メイ(vs)イチロー〉その3

@ その後メイから続けて2度にわたってメールが届いたのを、それぞれを貼り付けながら逐一コメントを付した。その方が論点が散漫にならないだろうと思ったから。

ボクのコメントは「@」印の後にきしたが、まずは1回目のメールから。

 

ええと、シニフィエなきシニフィアンの戯れは、田口先生の旅愁論で、修論で触れさせていただいております。

千田先生も、そのようなことをおっしゃっていたのですね!

 

@ 千田洋幸先生の切れ味鋭い論を知らないのか?! 学大にいたくせに!

  メイの修論である「旅愁」論は面白かったけど、田口律男さんの論は読んでないから、千田論との先後関係は知らない。

  千田洋幸「氾濫――反乱するシニフィアン  『或る女』の物語言説をめぐって」

      (三谷邦明編『近代小説の〈語り〉と〈言説〉』有精堂、1996年)

  この本は国語第一演習室にあったと思うので、読むべし!

 

シニフィエは別に問う必要がないのですね。

私はやはり、シニフィエシニフィアンは互いに不可欠なイメージです。そして、漢詩といえば、唐代は凄いというイメージなので、その時代に名を残そうとがんばった李徴、マジでアワレ、という感じで軽く書いてしまいました。すみません(ぺこり)。

 

@ 「マジでアワレ」と受け止める読み方も可能だ、とは前便で記したから「ぺこり」は全く不要。「詩」という言葉が「氾濫」しているのに、その内実(シニフィエ)が伴わないテクストの在り方を強調したつもりだったけど、伝わってないようだ。その在り方から李徴に対する皮肉を読むことも可能だろう。凄い詩人がいたとすれば、そういう詩人の存在が李徴の生き方を誘導し決定したのであろうものの、李徴には凄い詩人になる才能が欠落していたのが悲劇の元ということになる。メイが以下に言う「李徴が詩に執着した」理由もそこにある。

 

はい、私は、山月記を読んだとき、なんでそんなに彼が詩に執着したのかが書かれていないことが気になりました。

先生が挙げてくださったところは、確かに自分が詩に執着したことを、語り手&タイガー李徴が述べているのですが、そもそも詩で身を立てようと彼が思ったのはなんでだっけ?とテクストをひもとくと、(また移動中で、うろ覚えのテクストの記憶ですみません)

下吏となって、膝を俗悪な大官の前に屈するより、詩家としての名を死後百年に残そうとしたから、という表現につきあたります。prefer A to B という感じで、李徴は詩の世界に入ったのだと思います。

 

@ 《性、ケン介(ケンの字が出せない)、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。》とあるのは、AとBとの間の選択を言っているのではあるまい。役人になるか詩人になるかというような、2つの選択肢は等価のものとして語られているのではなく、役人としての生き方に充実感を得られなかったから、(科挙試験をきっかけに詩に打ち込むようになったかもしれないが)生きる手応えを感じていた詩に生きることにしたと理解すべきだろう。

 

博学で挫折知らず、ポンポーンと名を虎傍に連ねちゃった李徴、詩をやることで、はじめて挫折を味わったのかもしれませんが、これがバカ上司の前で膝を長く屈するような、彼のプライドを傷つけるようなことがなく、やり手の高級官僚としてのアイデンティティが築かれたのなら、彼は詩で有名になってやるとは思わなかったと思います。

 

@ 繰り返しになるが、李徴は高級官吏になったとしても、決して満足できなかった存在として語られている。《賤吏に甘んずるを潔しとしなかった》というのは高級官吏なら満足したという意味にはなるまい。「詩」という言葉が氾濫するテクストが無視されているための誤解だろう。残念ながらテクストに「出世」という言葉が氾濫しているわけではない。

 

この後は、先生のおっしゃるとおり、李徴は詩に執着しますよね。それはやはり、詩の世界で名を残そうと焦りまくる、という形での執着で、詩そのものに執着というより、詩は彼の名を残すための手段なので、発狂までが早いのてしょうね。

 

@ 詩は手段などではなく、あくまでも李徴の目的だと思う。才能があろうがなかろうが、詩の世界なら自己満足できたからこそ打ち込めたわけだ。発狂の原因は名を成すことができなかったからではなく、《性、ケン介、自ら恃むところ頗る厚く》という在り方がハンパなかったからだろう。人間の域を超えるほど自尊心が過剰だった李徴が、《人と交わりを絶って、ひたすら詩作にふけった》とあるように、詩の創作という孤独な営為に自己閉塞してしまったために発狂したと考えるべきだろう。

 

詩と李徴は切り離せない、芸術家の苦悩、みたいな読み方は、指導書にはあったのですが、

私は、李徴はいわゆる「ワナビー wannabe」だと思います。袁傪御一行は、李徴を薄幸の詩人、と感じてくれましたが、それは李徴が虎になったというかわいそうな現実を目の当たりにしたからではないでしょうか。また、それよりも、袁傪が李徴の詩に何か微妙な欠陥を感じていたことが重要だと思います。

 

@ ボクは「芸術家の苦悩」だとは言ってないけど、芸術=詩に取り憑かれた者の悲劇(喜劇)と言ってもいいと思う。ワナビーとは初耳で知らないけど、続きを待とう。

 

あー、また乗り換えです!

今日は一限前に血を抜かれたので、帰ってきちゃいました!きょうは家でプロレタリアを読みます^_^