【読む】案内状の文章と返信のコメント

 毎日案内状の返信が届くのが近年に無い喜びだネ。気の置けない仲間とのつながりこそが、ジンセイ最大の財産だと思っているからだネ。連絡がとれずに落着けなかった人の住所やメアドが、本人や友人から伝えられるのは嬉しいかぎり。

 『シドクⅡ』は研究論文でありながらも《読み物》を意識し、前2著以上に文章に「彫琢」を重ねたので楽しんでもらえると思っています。案内状の文章自体もそのノリで書いたので、けっこうそれが伝わった人が文体を鑑賞しつつ楽しんでくれたようでありがたいネ。その人たちは人一倍「シドク」を楽しんでくれそうで期待してます。

 中でもエリちゃん(金澤=旧姓は伏せる)の《久しぶりにエッジが効いた長文をいただき感慨深いです。》が不参加の残念さを埋める感想だったネ。ミチル姉さんも《すみずみまでお気遣いの行き届いたご案内の口上、さすがは我らがイチロー!》と申し分のない鑑賞力を示してくれたネ。案内状には通信販売しない理由として、著者割引にしても送料がかかると定価と同じになるからと記したけど、送料をボクが負担すれば安価で入手してもらえるので本心じゃないのだナ。ホンネは通信販売にすると、買うことを無理強いすることになりかねないからだネ。参加できないけど買いますと記してくれた人もいるけど、そうでない人にムダな気を遣わせるのを避けたのだナ。ボク(等)との付き合いを楽しんでいるものの、ボクの書くものには関心がない人がいても当然だからネ。出版記念会だけじゃなくて、生前告別式であり・同窓会だしネ。

 ミチル姉さんがそこまで「気遣いの行き届いた案内の口上」を読んでいたとすれば脱帽だけど、意外にも新潟の(遠いから来るには及ばないと伝えた自称「できの悪い弟子」である)ネズッポが、《すてきなご案内のお手紙より、筆ののりも一層冴え渡っていらっしゃるご様子》と書いてきたのでビクッリしたナ。

 文学が不得意で卒論書くにもオハルやオキヌをはじめ、仲間の協力に支えられたにもかかわらず(拙い発表を聴いてもらった)案内状の文章が鑑賞できているのだからネ。新潟の中学校に就職できた時は、(太宰じゃないけど)喜びと不安を本人と共有したもンだヨ。子供たちの方が国語力が上じゃないかという心配ネ。幸いアラフォーの今でも勤まっているようで何よりだヨ。就職して数年間は、年賀状に「生徒にバカにされながらもガンバッテいます」という意の文言が付されていたものの、このところはそんなグチは記されてないので安心していたけど、返信ハガキを見るかぎりでは「文学のウデ」を上げたものと見えるネ。それとも挫けない精神力(感じない力)かな?