【読む】『シドクⅡ』の反響  檀一雄作品のおススメ

 久しぶりに『シドクⅡ』の論を読んだ感想が、学大院修了生の平林クン(明治ゼミ)から届いたヨ。ボクも後書きで自信作と記したけど、あのありがたい滝口明祥さんの書評を送ったら、滝口さんも評価してくれた檀一雄「火宅の人」論を読むために、この長編を読んでから論文を読むために遅くなったというのだネ。論文を読むのは作品を読んでから、というボクの原則に従ってくれたのだネ、平林クンらしい。(ちなみに「火宅の人」論を高く評価してくれた1人が、読み巧者で毎年マツタケを送ってくれる樫原修先生だヨ。)

 平林クンが問題にしてくれたのは滝口さんとボクの懸念、

 《本書が目的としているような「テクストの《細部を読む》楽しさを共有」できる読者というのは、いったい現在、どれほどいるのだろうか、という疑問》(滝口書評)

という点だ。ボクとしては、もっと多くの読者に届くと思ったものの、「細部」はもとよりストーリーではなくテクストそれ自体を《読む》読者が意外に少なかったのだネ。勝手に理想的な読者として想定した伊集院光又吉直樹たちにも届いた手応えが感じられなかったので、やっぱりチョッと難し過ぎたかなという印象だネ。《テクストの細部を読む》というのは要求が高すぎたと失望していたところに、平林クンから明るい話題を提供してもらいホッとしているヨ。

 平林クンの勤務校(高校)の生徒や平林クンの子供たち(大学生と高校生)を見るかぎり、アニメなどでは特に《細部の読み》を楽しんでいる手応えを覚えているという。「《細部》と《全体》を往還するような読みを経験することは、実は文学だけでなく、さまざまな知的な生き方に活きてくると思う」というのは平林クンの言うとおりだと思うものの、新学習指導要領では「文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであって指導の在り方」が徹底的に批判されているという。教材から「文学」を排除しようとしている最近の文科省らしい反動的・反文化的な傾向だネ。

 そんな流れに反して、平林クンは勤務校では理系を含めて「文学国語」の教科書を採択できたそうで、素晴らしい判断だと共感を覚えるヨ。ただ後書きでボクが檀作品の論文も書きたいと記した言質を取られてしまったのは、チョッと心残りだネ。優等生はキツイね。