【『シドクⅡ』にミスあり】脱落文  佐藤秀明さんのご厚意

 こんなコーナー設けたくないけど、完璧とはいかないのが現実世界。ご指摘いただいたら、すぐにこのコーナーで紹介して訂正していただくので、宜しくミスの発見をお願い致します。

 真っ先にプロ並みの校正能力を持つ宮腰賢先生から、まさかの脱文をご指摘いただいて驚いているヨ。冒頭論文「太宰文学の特質」の24ページ2行目の後には、次の1文が抜けている。

 《この作品に限っては〈他者〉像は具体的な形をとらない。父との対立がもとで家出するところから始まる作品であり、〈父殺し〉が志賀文学のテーマではあるものの、父は〈他者〉として括れまい。》

 と初出の『国語と国文学』(2012・4)から写しているうちに、これは自分で改稿したのではないかと思い始めている。ボケの進行で確信はないけど、どうも自身の仕業のようだ。今さら仕方ないけど、この1文は有った方がいいのか違うのか、ご意見のある方はお寄せ下さい。

 

 もう1つ、訂正というか補足がある。後書きの235ページの「金閣寺」論の初出誌である『まんどれいく』の刊行月が抜けている。いくら探しても学部生時代の同人誌が出てこないので、月が不明のまま記さなかったものだ。それを三島研究を支えている1人・佐藤秀明さんが、拙著の感想と共に教えてくれたのだ。たぶんこの雑誌そのものをシュウメイには送ってあったものと思われる。本論の「近代能楽集」論ではシュウメイの説をからかって批判しているのに、それは別としてご教示下さった、シュウメイは好いヤツだ。

 シュウメイの教示によれば、雑誌の刊行は1971年8月とのこと、68年に入学したのだから3年目の夏ということになる。前橋高校3年時の同級生だった五十嵐昇クンが、在籍していた日大芸術学部三谷幸喜爆笑問題の2人の母校)が右翼に制覇されていたので戻ることができず(ボク等は全共闘だったから)、手持無沙汰に同人誌を創ろうというので出したもの。前橋高校というと『シドク 漱石から太宰まで』の帯のコピ―に「糸井、まいったか!」とある糸井重里は有名ながら、糸井はキチガイ・クラスと言われた私立文系のクラス(1クラスだけ)だったけど、ボク等は国立文系でクラスが違っていた。「まんどれいく」という名は下ネタで、専門課程進学後の高橋康也先生のジョン・ダン(マニエリズム詩人)の授業で使われたテキストから引いたもの。意味は学大の講演の時に明かしたけど、ここではスルー(1000字になったし)。