賀状に記してあった情報で一番嬉しかったのは、前橋高校(2年生)時代の担任だった須関正一先生が95歳でお元気だとのこと。
ご母堂が102歳まで生きられたとのことなので、先生はそれを超える気持でガンバルそうなので心強い(こちらが先に逝きそう)。
小中高の恩師の中で、須関先生は飛びぬけて尊敬している方で、昔のブログにも記したけどヤンチャで生意気だったイチローを、暖かい眼で見守ってくれていたのを忘れない。
卒業後も1度ならずお会いしたこともあるけど(1度は高級そうな料亭で御馳走してくれた)、いつも「関谷、丸くなるナよ!」と励ましたくれたのを思う度に胸が熱くなる。
ボクが全共闘時代を忘れずに《闘う》姿勢を通せてきたのも、先生の励ましの言葉を思い出しているからだ。
宇都宮大卒のコウメイ君が、賀状に《「弱い者の側についていれば間違いない」と言ったイチロー先生の言葉を忘れません。》と書いてくれたのは、感動したナ。
4年生になった時に、卒論の概要をイイカゲンに書いて提出したために、担任の故小池先生に目の前で破かれたコウメイ君も、卒業してからはボーっと生きている(教員)わけでもなさそうで安心できた。
それはともかく、須関先生が英語の授業中に、《私も戦争に行って兵隊を指導したけど、部下に優しくすべきか厳しくすべきか、くり返し考え・迷ったものだ。》という感想を聞いた時には、ボク(等)も考えさせられたものだ。
帝国陸軍ではイジメに近い兵隊教育をしたのは周知の通りだけど、先生に言わせればそれも一概には否定できないとのこと。
厳しく教育した隊長の部隊は死傷者が少なかったけど、隊長が優しく兵隊を気づかった部隊は明らかに死傷者をたくさん出したそうだ。
それを思うと先生も、戦争当時から兵隊に対する教育を厳しくするか、優しくするかを突き詰めて考えさせられたとのこと、深いナ〜。
もちろん現在の教育の仕方に直結させると大変なことになりかねないから、十分時代と状況を考慮の上で検討しなければならないのは当然。
高校2年生のボクには、この問題提起が深く刻まれたいたので、料亭で御馳走になった帰り道で先生に「忘れてません、難しい問題ですネ」と洩らしたら、「よく覚えてくれていたナ」ととっても喜んでくれたけど、自分の考えが期待以上に生徒(学生)に届いているのを知った時ほど嬉しいものはないものだ。
今回、コウメイ君の一言を読んで、須関先生の気持が一段と分かった気がしたヨ、コウメイに感謝!