このところ書類やら古新聞やらの山を片付けているのだけれど、いろいろ発見があって喜んでいるヨ。まずはジャミラの出典である作品のコピーが出てきて苦笑が洩れたネ。田口ランディ『富士山』の文春文庫を持っていたはずで、今まで何度か探したのだけど発見できなかったから、コピーを見つけた時は嬉しかったネ。おそらく昭和ゼミで取り上げた時のテキストで(おそらくレポーターの1人だったヨシオ~カ君が選んだ作品だったもの)、ボクの勘違いにも気付いたヨ。てっきり「富士山」という作品に登場するゴミ屋敷のババアの愛称がジャミラだと思っていたら、(連作)短篇集『富士山』に収録されている短篇「ジャミラ」の中に出てくるのだった。我ながらボケだけど、これでやっと作品から引用できる。
《僕(市役所勤務)はこのゴミ溜めが嫌いではなかった。役所の中にいるよりははるかに面白い。ぼんやり眺めていたら子供の頃に読んだ「AKIRA]という漫画を思い出した。/ ワイヤーハンガー、破れた傘、壊れたテレビ、アンテナ、掃除機、ビニール袋、腐った衣類に三輪車、植木鉢、おまる、すだれ、布団・・・。(略)ゴミ山のすき間に小さな出入り口がある。ゴミのアーチだ。この狭い通路がゴミで潰れた玄関へと続いている。》
自家はあくまでもジャミラのテリトリーである空間(1・2階の和室と2階の10畳くらいの居間と納戸などでボクの部屋以外)がゴミ屋敷状態なんだけど、ホンモノの「ジャミラ」はさすがに1軒屋全体(さらに家の外まで)がゴミにまみれた状態でスゴイね、匂いまで近所に迷惑を及ぼしているくらいだし。匂いだけはしない点では、ボクは助かっているかな。広い今の床はゴミに満ちていて、歩く所はケモノ道のようになっているけど。テーブルはボクが全く使わず、食事は独りでトレイに乗せて自室に運んで摂るから、ジャミラが散らかし放題なので、食事の時はゴミをよけて20㎝四方のスペースを作って食べているようだネ。
これはボクがまだ在職中の映像だけど、テーブル自体がゴミで隠れているのが分かるだろうか? 孫の家族3人が来る時だけは片付けるから、5人でも十分の広さのあるテーブルなのだけれど、ふだんはボクが使わないしボクが片付けるように注意してもハナから無視しているので、ご覧のようにゴミの山になっているのだネ。在職中から自家の様子をボクが作って話していると思っている向きもあるけど、ジャミラは自分1人で住んでいる家だと思っているから、家じゅうゴミとホコリにあふれている状態なのだナ。この頃の台所の写真もあるけれど、見てショック死する人もいるかもしれないのでアップは控えるネ。もっとも退職してからは、ボクも時間的に余裕ができたので、食洗機に放置されたままの食器は毎晩ジャミラが寝た後で片付けているし、上の写真のように吊るされたままの洗濯物も、ジャミラの留守中に(ジャミラの着る物以外は)片付けているので上層空間はキレイになっている。問題は上記のように、現在では床上にもあふれているゴミで足の踏み場もないことだネ。孫も小3になるので塾通いが始まるので、もう自家には遊びに来るヒマもなくなるだろうということなので、テーブルを始め家の中が片付くきっかけが無くなることを思うと、ボクはゴミ屋敷に閉ざされたまま死んでいくことになるのだろうか?